てぃーだブログ › 風の便りWEB版〜よりそい・情報支援ボランティア沖縄

2012年01月26日

風の便り vol.45 (1/21発行)

津波がかき消した街 沖大生が歩いた気仙沼の今(下)
毎週集まり話して念願かなった 南町紫市場
東北の血を受け継ぐウチナーンチュの女子学生が、初めて訪れた被災地の今をつづった。仮設店舗の商店街から。
「私は何ができるのだろう」。無意識に遠ざけてきた気持ちの壁が、現実を前に薄れた。
 商店街の一番奥に気仙沼復興商店街、通称南町紫市場はあった。入口には、開店を祝う花輪が飾られていた。2階建ての建物が東西合わせて7棟並ぶ。震災後に再開する仮設営業店舗のなかでは最大規模だ。コンビニや飲食店、ブティック、八百屋など51店舗が軒を連ねる。
 休憩のために入った喫茶店には若いオーナーと常連客がいて、私が沖縄から来たことを知ると「寒いでしょう、よく来たね」と迎え入れてくれた。震災直後の写真を見せてくれて、仮設商店街ができるまでの話を聞かせてくれた。他の避難所に比べて、南町地区は日ごろから近隣との関わりが盛んだったため、トラブルが少なかったこと。当初は住民同士による共助で食糧や物資をまかなっていたこと。全国から集まったボランティアの支援のこと。毎週集まって話し合ってできた念願の商店街を拠点に、南町地区を立て直したいということ。
 元船乗りの「社長さん」と呼ばれる常連客は、避難所でリーダーを務めたという。様々な人が集まる避難所では想定外のことも起こったが、ムードメーカーに徹してみんなで協力できるような雰囲気をつくってきた。「逃げ場のない船の上は大変だった。震災でも同じ。でも一緒に力を合わせれば大丈夫」。
 沖縄で日々の生活をしながら、東北がいつも心に引っかかっていた。震災の衝撃は大きかった。暮らしの何もかもを失くした時、ただぼう然とするしかないだろう。考えるほど、被災した人たちに私は何ができるのだろうかと悩んだ。
 正直なところ、「踏み込まない方がいいのではないだろうか」「本当の意味で痛みを共にするのは難しいのではないか」と、震災を遠ざけてきたと思う。無意識にできていた気持ちの壁は、気仙沼の人に出会い、震災が自分の現実になったことで薄くなった。
 震災からもうすぐ1年。「できる、できない」という二元論を超えて、自分の方法で改めて向き合っていきたい。 (沖縄大学福祉文化学科3年 西村愛里)


震災317日 被災地から(32)
宮城・石巻 ボランティアコーディネーター
石油ストーブやろうそくが禁止の仮設住宅も。
 防寒対策が遅れているのが、とても痛い。もとからあったエアコンに加えもう1台支給されることになったが、2つのエアコンがあっても電気代がかかるしブレーカーが落ちるので使えない家もある。2部屋ある家は、エアコンのない部屋はあまりに寒すぎて入れない。火災を怖れ、石油ストーブやろうそくは禁止のところもある。そういう地区の住民は、仏壇には電気ろうそくを上げている。クリスマスも、ろうそくは使えなかった。
 ここの仮設住宅は、住民をまとめられる人がいない。ほとんどの人が家に引きこもっている状態。誰がどこで何をしているか、わからない。それが大きな課題だ。仮設住宅のイベント開催は、主催者が行政に申し込み、集会所が空いてれば行政が受け付ける方式だ。行政も団体や活動の深いところまで見るわけではなく、またニーズを把握するところまで行っていない。自治会があれば住民が選ぶこともできるが、住民がイベントを選ぶことができず多くの団体が押し寄せている状態。行政にも限界があり、民間でなんとかしなければと言っているが、なかなか進まない。

石巻市:世界3大漁場に面する人口16万人の水産都市。44漁港、加工工場200カ所全て被災。定置網、養殖施設ほぼ全壊。死者・行方不明3954人。全壊家屋4万4千棟。


暮らしの中から防災を考える「ハイサイ!ぼーさい」
市民・大学生・中高生集い 楽しく実践
 阪神淡路大震災が起こった1月17日は「防災とボランティアの日」、15~21日は「防災とボランティア週間」。一昨年から毎年この時期に沖縄大学まちづくり実習・実践演習のフィールドワークとして行なわれている「ハイサイ!ぼーさい」が、今回は那覇市中央公民館などと合同で青年講座「身近なものでまもろう」として行なわれた。阪神淡路大震災から17年目の今年も「暮らしの中で楽しみながら防災を学ぶ」をテーマに、一般の防災訓練では行なわないようなユニークな実践を行なった。
 中学生から一般市民まで30人が新都心銘苅の那覇市消防本部に集まり、行なわれた。前半の講義では、よりそい・情報支援ボランティア沖縄の稲垣暁代表(沖大地域研究所特別研究員)が阪神大震災時の被災体験や東日本大震災の事例など交え、災害時の現状や本当に必要な物、いざという時に身近なもので出来るアイテムの紹介などを行った。
 後半の実践編では、消防本部横の広場で「自助・共助」を学んだ。のこぎりやバール、ジャッキ、ロープなどの使い方を身につける練習や、バケツとスーパーのレジ袋を使った消火体験を行なった。真和志高校生が、災害時の車イス利用者の避難支援を指導した。また、身近な食材で作る炊き出しが行われ、豚汁とヒラヤーチーを調理した。その際、使った食器はラップで包むなど、断水時に水を使わないで料理を行なう工夫を学んだ。
 沖大生たちが岩手県大槌町の避難所で行った足湯ボランティアも再現した。西原町の20代女性は、「講演会と聞いて固いイメージがあったが、参加してみて楽しみながら防災を学べた」と、足湯につかりながら学生らと会話やマッサージを受け、体や心の緊張がほぐれた様子だった。
 沖縄でいつ起こっても不思議ではない大災害。そのための個々の備えや心構えはもちろん、改めて隣近所や地域との連携の大切さを確認した一日だった。


Information
犬も人もみ~んな友達♪ いちゃりば兄弟交流会
■セラピー犬 わんワン大運動会■
 【日時】2/26(日)10~15時
 【場所】沖縄市白川米軍娯楽施設(変更の可能性あり)
 【定員】50名限定(締め切りまであとわずか!! 申し込みはお早めに)
 【参加費】ニライカナイカード所持者:無料、一般:1000円
 【申し込み・問い合わせ】NPO法人沖縄災害救助犬協会(うるま市字西原204)
  098(979)4111 090-1940-6667  メール:orda4111@yahoo.co.jp
*メール申し込みの場合は「件名」に「参加申し込み」、「本文」に「①参加希望イベント名、②世帯主氏名、③参加人数=高校生以上の大人と中学生以下の子ども人数、④連絡先電話番号」を記入してください。
*NPO法人沖縄災害救助犬協会
 セラピー犬認定審査に合格した認定セラピー犬55頭が登録され、ドッグセラピーの動物介在活動を行っている。このセラピー犬を活用し、沖縄に在住する震災避難者のみなさんとふれあい交流会を行う。


コラム「些細なことでも笑顔にできる。つながった手は離さない」金城早由貴/琉球大学3年次
私は今、学生団体CORe:(コア)というチームで活動しています。その活動の中で先日、沖縄に避難してきている人たちと出会う機会がありました。一時避難している方々の宿舎に行き、子どもたちの遊び相手になったり、お母さんたちとお話をしたりするという活動です。それは活動というより、友達の家に遊び行くようなワクワクする感覚でした。一緒に遊んだり、お話を聞いたりと特別なことはしませんでしたが、放射能のことや避難してきた方の気持ち、これからのこと、子どもたちの変化などたくさんのことを知ることができました。そこでは自分が今の現状をまだまだ甘く見ていることにも気づくことができ、デスクワークで知るより、人と接して知ることの方がより多く、深く、また衝き動かすものがあると感じました。そして、本当に些細なことでも避難してきた方々を笑顔にできることがわかりました。これからは、この避難してきた方々とつながった手を離さずに、その方々が沖縄で少しでも笑顔になれるような活動をしていきたいと思っています。





  

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2012年01月16日

風の便り vol.44 (1/14発行)

孤独死防げ 手紙でつなぐ被災地と沖縄
沖縄から仮設住宅の被災者に寄り添う 県内大学生ら企画
 被災地と沖縄を手紙で結ぶことで遠く離れた沖縄から被災者の心に寄り添い、孤独死を防ごうという試みが県内で始まっている。学生団体CORe:(コア)が企画した「お手紙プロジェクト」だ。CORe:は、夏休みを利用して宮城県にボランティアにいった大学生らが立ち上げた。プロジェクトは大学生や社会人で構成するメンバーが書いた手紙に沖縄独特の風景や食べ物の写真を添え、現地ボランティアから仮設住宅の住民へ手渡しで手紙を届けてもらうというもの。手渡ししてもらうことで顔と顔を合わせる関係作りができ、安否確認にもつながる仕組みだ。手紙は年配の人も読みやすく、手元に残っていくため繰り返し読むこともできる。すぐに読む気に慣れない人には渡しておいて後で読んでもらうことも可能なので、相手の負担にもなりにくい。

●「何書こう」。戸惑いながらも心を込め
 昨年12 月28 日、琉球大学構内で琉大や沖国大の学生メンバーら約8人が集まり、「何を書こう」「書けるかな」などと話し合いながら、第1回の郵送に向けて手紙を書いていた。自己紹介から書き始め、それぞれが思い思いに便せんを埋めていく。自分と東北を結び付ける話や東北で食べた食べ物のこと、同封する写真についての豆知識などさまざまな話題が並んだ。震災を思い起こさせないように言葉を選びつつ、最後に事務所の住所を添えるのがルールだ。手紙に記した事務所宛に返信が届いたら、手紙を書いたメンバーが個別的に文通を続ける。仮設住宅が終わる今後2年間は、2 カ月に1度メンバーで集まり、手紙を書き続ける。

●沖縄からできることを模索。期待と不安も
 プロジェクトリーダーの上原麻子さん(沖国大2年次)は「こんなにも大きく悲しいことなのに、(トーンダウンしている社会の雰囲気に)流されて忘れてしまう。周りの人も、忘れないことが一番大事」。「返信が来るかどうか、(2月には現地に行って直接手渡ししてくる予定なので)渡す時を想像してワクワクする。どういう反応が返ってくるか不安も」と入り混じる不安と期待を明かした。
 金城周子さん(沖国大3年次)は現地ボランティアで被災地の状況を目の当たりにした。沖縄に帰ってからは仲間と共に「沖縄からできること」を模索。積極的にプロジェクトに参加している。「今だから動く意味がある。(コミュニケーションの有無やコミュニティの環境など)仮設住宅にはすごく差がある。手紙を読んでもらえないかもしれないし、読んでもらえるかしれない。でも、つながり作りとしては有効じゃないか」。言葉にチカラを込める。
 第1回は約100通の手紙が集まった。今後、現地で連携してくれるボランティアを探し、宮城県に郵送するつもりだ。
     ***
 被災地では、仮設住宅を中心に被災者の生活環境が厳しさを増している。防寒整備が遅れているところも多く、エアコンが追加されても電気代を払えないため使えない状況にある家庭もある。寒さのため家には閉じこもりがちで、孤立した住民が増えないか心配だ。沖縄の学生が書いた手紙が被災地のみなさんに届き、勇気と希望を持ってくださることを願ってやまない。


震災310日 被災地から(31)
津波がかき消した街 沖大生が歩いた気仙沼の今
東北の血を受け継ぐウチナーンチュの女子学生が、雪の中を初めて訪れた被災地を写真と文でつづった。

知ってたはず。なのに、言葉が見つからない。
 冬休みに入り、祖父母の住む青森で年末年始を過ごす計画をたてていたとき、偶然見たテレビ番組で気仙沼復興商店街のことを知った。地震直後、10メートルを超す大津波に襲われた宮城県気仙沼市南町地区に仮設の商店街がオープンしたという内容だった。東北へ行くなら被災地を訪ねたいと思っていたので、番組を見た瞬時に「行こう」と決めた。それまで気仙沼に縁はなかったが「今行かなければ後悔する」という気持ちで宮城県へ向かった。
 途中立ち寄った仙台の街は、「がんばろう宮城、がんばろう東北」の言葉であふれていた。私が見るかぎりだが、街は人々でにぎわい、華やかさがあったように感じた。復興の文字と街を歩く人たちの笑顔。震災から10か月以上が経過し、地元の人々は日常を取り戻しているのだろうかと思った。よそ者でその地域のことを何も知らない私がどのような態度でいればいいのかわからず不安だったので、街
の落ち着いた雰囲気を感じ少しほっとした。
  仙台駅から電車で3時間、気仙沼に降り立った。海が近いからか仙台よりも寒い。駅周辺は地震や津波があったとは思えなかった。仮設商店街を目指し15分ほど歩き、商店の並ぶ細い道に入ったあたりで街並みが一変した。伝統のある商店街なのだろうが、シャッターの壊れたバー、粉々になった窓ガラス、ビニールシートで覆われた書店、半壊した建物に記される赤丸の印。見たことのない光景が現実
を実感させた。
 メディアなどを通じ、気仙沼は地震よりも津波による被害が大きかったとわかっていたはずだった。改めて被害の深刻さを思い知った。海沿いの住宅は流され、海水が引かなかったため跡地は藻でおおわれていた。がれきはほとんど片付けられていたが、1階が倒壊した家屋や散らばる家具も「持ち主にとっては財産であり思い出」だと思った。脈々と受け継がれてきた、そこにあった暮らしが消えたこと。それを目の当たりにした衝撃を言い表す言葉が見つからなかった。
(沖縄大学福祉文化学科3年 西村愛里・45号につづく)

気仙沼市:人口7万人。世界3大漁場・三陸沖に面する。日本一のフカヒレ水揚げ量を誇る水産・観光都市で、津波で壊滅的打撃を受けたが、懸命の復興努力を続けている。


Information
満月の夕 117避難所セッション in ナダ from ナハ
~沖縄・神戸から東北に祈りをこめて
 阪神淡路大震災から17年目の1月17日、今年も神戸・灘区の沖縄BARと那覇をそれぞれ当時の避難所に見立て、ツイキャス・ユーストリームを通じ音楽セッションを行ない当時をしのぶ「満月の夕 117避難所セッション in ナダ from ナハ」が密やかに行なわれる。
 「満月の夕」は、17年前に被災者を励ますため被災地出身者を含むメンバーで構成する「ソウル・フラワー・ユニオン」や東京のギタリストが歌った。震災当日、灯りが消えたがれきの町並みを大きな明るい満月が照らしたことにちなんでいる。沖縄も含む(元チャンプルーズの平安隆さんがうちなーぐちで歌う。石垣島でライブハウスを開く川門正彦さんも神戸で歌った)多くのミュージシャンにカバーされ、東北の被災地でも歌われた。このミステリーセッションでは、東北の仲間たちに祈りを込めて那覇から東北にちなんだ曲を歌う予定だ。
 神戸・沖縄の有志によって2002年から始められ、2008年から神戸市灘区の有志が中心となって行う今のスタイルに引き継がれた。灘側は、商店街のはずれで沖縄おでんを出す市場BAR「通い船」が会場。カウンターだけの小さな店に口コミで集まった50人がぎゅうぎゅう詰めになっている様子は、まさに17年前の避難所。思い思いにギターや三線を持ち寄り、那覇からの映像に合わせて歌う。
 合言葉は「何のために歌うのか。いわなくてもわかっている」。1月17日、19:30ごろからスタート。ぶっつけ本番で行う。場所はサンライズなは商店街すぐにある「エコショップがじゅまるガーデン」の予定(那覇市壷屋1-7-20、通信環境が悪ければ変更)。一緒に歌いたい人は、上記「風の便り」まで連絡を。楽器はあってもなくてもよい。
 本イベントの神戸・灘会場の詳細は、Facebookで「避難所セッション」検索のこと。


コラム「日ごろの関係が災害時に”こそ”表れる。地域力の蓄積を」高野大秋/那覇市社会福祉協議会
 昨年5月、福島県新地町災害ボランティアセンター支援のため、社協職員としてお手伝いさせていただく機会を得た。震災の影響を感じない山間部の風景から、国道6号線側の海側の被災地を目のあたりし、その光景に何も言えず、目の前の活動についていくだけで職員派遣の8日間はあっという間に過ぎた。沖縄に戻ってから直後は「ここにいてよいか?」「やり残していることもある…」と考え続け落ち着かなかった。しかし結論として「地元に戻れば那覇市をどうするのかを考え、実践しなければならない」と切り替えた。その被災地の活動で一番感じたことが日ごろの地域福祉活動や団体との関係づくりが災害時に“こそ”表れてしまうということだった。
 那覇市社協では次年度、災害時にボランティアセンターを立ち上げ、迅速な災害ボランティア活動を展開するための「災害ボランティアセンター運営マニュアル(仮称)」の策定を行う予定だ。同時に備蓄や情報伝達といった災害に備えた地域づくりについても地域の皆さんと一緒に考えていきたい。何よりも日ごろの地域福祉活動における自治会、民生児童委員、ボランティア・NPO団体、そして個人ボランティアのみなさんとの交流による地域力を蓄積していくことが重要と考えている。




  

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2012年01月13日

風の便り vol.43 (1/7発行)

震災303日 被災地から 新年号企画
被災2年目へ 手紙でできる孤独死防止
「よりそい」これから本番 「おすそわけ作戦」で住民つながりを
 2年目に入ろうとする被災地。被災者の孤独死・自殺が出ている。自治会がない仮設住宅では、顔を合わせる機会がないため住民の大半が引きこもり状態になっている。仮設住宅だけではない。被災者が入居する賃貸住宅「みなし仮設住宅」の人たちは、広範囲に分散するため支援が届きにくい。やむなく半壊家屋に住む人もいる。これが“豊かな”日本の現実だ。沖縄から何ができるのか。(沖縄大学地域研究所特別研究員/よりそい・情報支援ボランティア沖縄代表 稲垣暁)

「心のケア」より「日常の交換」の気持ちで
 「死」に近いのは絶望感を持つ高齢者だけではない。仕事を失った若い男性なども外との接触を拒みがちだ。誇りを持って仕事に打ち込んできた人にとって、失業状態で人と顔を合わせることは非常に辛い。解決には住民と関係づくりができる組織とたくさんの人手がいるが、被災地のボランティアは激減している。この問題は、今後確実に膨らんでゆく。
 だから、「よりそい」ボランティアの本当の出番は、これからなのだ。阪神淡路大震災のとき、同じ被災住民としてこの問題に腰を据えたのは、震災2年目の暮れだった。被災地を支援したいという思いを持つ人は、次の冬に芽が出るくらいのつもりで、被災地のみなさんとつながる種をまいてほしい。あせる必要はない。希望の種をまくことだけでも、被災住民にはチカラになる。
 では、沖縄からどんな種まきができるだろうか。私は「文通」を勧めている。「心のケアを」などと大それたことを考える必要はない。自分の日常をていねいに書き、相手の日常をうかがうだけで十分。最終目的は、「あの津波から生き延びたすべての命を、寂しく断たせない」こと。引きこもっている人に直接つながることは、現地ボランティアでも至難の業だ。だが、住民同士で出てこない人に寄り添いあうきっかけを作ることなら、沖縄からできる。そのためには、「送る相手」「関わりを持つ相手」を探す地道な種まきをしなければならない。必要なのは、「知恵と工夫」「真摯(しんし)さ」だ。この2つがあれば、会ったことも行ったこともなくても、できる。まず、つながる人を探そう。ドラッカー「非営利組織の経営」でいうところの「マーケティング」だ。

集会所でみんなが読めるよう…大きな紙と文字
 返事を書くことは、特に高齢者には気力の維持と運動機能低下の防止に大きな役割を果たす。もちろん、その後の大きな交流に花開く可能性にもなる。できるだけ返事を書いてもらえるようなメッセージをしたためたい。しかし東北人は沖縄人に似てシャイな人も多いという。返信を期待せず、継続して送ろう。種まき段階では、個人あてより仮設住宅内の集会所に張り出せるような手紙にしたり、脇に置いてもらう菓子を付けるなど工夫しよう。
 張り出してもらうには、高齢者が読みやすいよう比較的大きな紙に色を使った大きな文字で。菓子を付けるのは、近隣におすそ分けしてもらい住民同士のつながりづくりに役立ててもらう作戦でもある。大切なのはたくさんの人に送ることではなく、文通相手から徐々に広がることを考え、少人数としっかり関係づくりを行うことだ。多くの人が取り組めば、交流は重層的になっていく。
 ちなみに私の場合、種まきは5月に岩手県大槌町で行った。避難所でよりそい活動をしながら、10年間はつきあっていただける方を5人探そうと考えた。帰沖後、5人と細々ながら文通を続けている。5人を通じて近隣住民に間接的に寄り添うことも目標だ。このほか、仙台市内に活動拠点を持つボランティアスタッフと連絡を取り合いながら「種まき」を行っている。沖縄の素材で「おすそわけ効果」を企図した今冬の実践例を左欄に紹介する。

5感に訴える彩りや香り…沖縄だから喜ばれる
 送り先からの反応で特に感じるのは、彩りと香りがいかに大切かということだ。特に香りは5感に強く働きかけるとともに、隣近所に知らせてみんなで南国沖縄を楽しもうという思いにつながるようだ。「ムーチーは生まれて初めて感じる香りです。本当に体に効く気がします」「シークヮーサーの香りに、健康でいなければという気になりました」と便りが来た。
 住民であれ、現地で活動しているボランティアであれ、意思疎通できる関係ができれば手紙程度なら負担にはならない。「阪神」での経験だ。「引きこもっている人に無理強いすることにならないか」という心配も無用だ。顔を合わせるきっかけを作ること、その人が「いらない」と拒んだとしても、後で少しでも前向きに生きようとする力を再生できる可能性を残すことが重要なのだ。周囲が何もできないこと、何も関わりがない状態が続くことが最も恐ろしい。仮設住宅に悲しみの連鎖を引き起こしてしまう。
 沖縄だからこそ喜ばれることは、たくさんある。「知恵と工夫」「真摯さ」で取り組んでいこう。

今冬、被災地とやりとりした内容をご紹介します。参考にどうぞ。
① Xmasカード+シークヮーサー
 月桃紙に平和通り商店街の紙工品屋さんで買った紅型模様の紙を細かく切り、クリスマスツリー型に貼りつけた。もうひと手間、香りもつけようと考え,季節的には終わっていたシークヮーサーをカードと共に小袋に入れ、普通郵便で送った。東北は高血圧の方が多く、シークヮーサーに降圧効果があるとされることなど書き添えた。
【1通あたりの単価】紙代:10円程度、シークヮーサー:5個100円、郵便代:240円。計350円

② 年賀カード+ムーチー
 宅配便店の女性から「元旦とムーチーが重なったから大忙しさー」と聞いたのがきっかけ。ムーチーは送りやすく、冬だからチルドにしなくて大丈夫だという。震災の苦しみから少しでも逃れられることを祈り、魔よけ・厄除けという意味を込めて送ることにした。郵便のエキスパックに手作りしたムーチー10個と、ムーチーの由来などを書いた画用紙を入れた。もち米に混ぜるタカキビ(ヒエ)に岩手県産がよく使われていることや、くるんでいるカーサ(月桃の葉)が沖縄で虫よけとしても使われていて、洗って干せば夏場の虫よけになることを書き添えた。
【1通あたりの単価】ムーチー:10円×12程度、郵便代:500円。計620円


<沖縄を知る> 伝統菓子かんたんレシピ保存版
ほっこりあま~い うちな~おやつはいかが?
 謹んで新年のあいさつを申し上げます。みなさん、いかがお過ごしですか。
 年が明け、暖かい沖縄にも少しずつ冷たい風が吹き始めてきました。そんな日に、温かいコーヒーやお茶受けとしてオススメなのがほんのり甘い沖縄伝統菓子。今回は、テレビなどでもよく知られる沖縄風揚げドーナツ「サーターアンダギー(さとうてんぷら)」と、中部地区・読谷村楚辺(よみたんそんそべ)の家庭に代々伝わる焼き菓子「楚辺ポーポー」の2品をご紹介します。気分転換に手作りして、出来たてアツアツを楽しんでみてはいかがですか。

外はサクサク、中はふっくら 沖縄風揚げドーナツ!
サーターアンダギー
沖縄方言でサーター(砂糖)、アンダ(油)、アギー(揚げ)。縁起のよいお菓子とされ、結納など祝い事で盛大に盛り付けられます。

[材料](約15個分)
卵…2個  砂糖…100g  塩…ひとつまみ  薄力粉…200g
ベーキングパウダー…小さじ1と1/2  サラダ油…小さじ2  揚げ油…適量
[レシピ]
①ボウルに卵を割りほぐし、砂糖と塩を加えて泡立て器でよく混ぜる。
②薄力粉とベーキングパウダーを合わせてふるい入れ、なめらかになるまで木ベラで混ぜる。
③サラダ油を加えてさらに混ぜ、30分ほど寝かせる。
④手とスプーンに油(分量外)をつけて用意。適量を手づかみし、絞り出すようにして手から出てきた生地をスプーンですくって油に落とす(1つ1つ丸めて落とすのもOK)。150度くらいに温めた揚げ油でゆっくりと揚げ、生地に割れ目が出来てきたら火を強めて温度を少し上げる。こんがり焼け色がついたら出来上がり。
*揚がるときに、大きな口をあけてニッコリ笑うように割れるサーターアンダギーの様子を楽しむのがPOINT!!

読谷村楚辺の家々に伝わる秘伝の菓子
楚辺ポーポー
かつて小麦が作られた読谷村で、その昔は最も人口が多く文化やスポーツに長けた楚辺地区で作られたのが楚辺ポーポーです。年1回、旧暦4月に豊作を祈願して行われるアブシバレー(虫追い祭)で作られました。各家庭には嫁いできた嫁にだけ教える門外不出のレシピと専用フライパンがあるという噂も!

[材料](3~4人分)
卵…4個  小麦粉…400g ホットケーキミックス…100g 
ベーキングパウダー…大さじ1 砂糖…300g 牛乳…90cc 水…275cc
セブンアップ(炭酸飲料水)…200cc 油…100cc 生姜のしぼり汁…少し
[レシピ]
①ボールに卵を入れて混ぜ、牛乳、水、セブンアップを入れる。
②小麦粉、ホットケーキミックス、ベーキングパウダー、砂糖を入れてこねる。
③油と生姜のしぼり汁を入れ、30分ほど寝かせる。
④フライパンに薄く油をひき、中火くらいにしておく。
⑤おたま1杯の生地をフライパンに入れて広げ、表面にブツブツが出来たらひっくり返す。
⑥生地が焼けたらまな板に乗せて巻き寿司のようにゆっくりと巻く。


コラム「地域は支援の可能性を秘めている」石垣信幸/沖縄国際大学4年次、ゆい・リンク代表
 震災発生直後は、被災地から遠く離れていることが歯がゆく感じられる事もありました。しかし、距離があるからこそ冷静に状況を把握し、被災された方々に思いを寄せる事が出来ると考え活動してきました。「ゆい・リンク」はこれまで、主に震災の影響で沖縄に避難されている方々をサポートするための取り組みを行なってきました。昨年11月末の沖国大・学園祭には、「避難されている方々を招待する」というプロジェクトを行いました。多方面から多くのご協力をいただき、約20人をご招待し、小規模ながらも大盛況の内に終える事が出来ました。このプロジェクトを通して、地域にはたくさんの支援の可能性が秘められていることに改めて気付かされました。これからは、「私も何かしたい!」という思いを持つ沖縄の学生、主婦、お年寄り、障害のある方、そして沖縄に避難している方など、地域住民それぞれの思い・特技を活かせるようなサポートをして行きたいと考えております。これからも、一歩一歩あしもとを見つめながら、丁寧に息の長い活動をしていきます。







  

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2012年01月01日

2012 Forever Forward トモに前進しよう!

  

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2011年12月31日

風の便り vol.42 (12/31発行)

精度の高い伝達手段で全住民に情報を
「標高」大事だが「逃げ道」確認必要
3・11以降の沖縄防災ふりかえり
 3・11以降、まちの話題で気になることがある。「津波と標高」に気を取られすぎる市民が増えたことだ。「ここは標高が5mだから危ない」といった会話がよく聞かれる。等高線入りの地図を生活で用いることが少ない沖縄では、これまで考えられなかったことだ。悪いことではないが、災害や避難についてもっと多面的にとらえるべきではないか。また「自主防災組織」や「防災無線」を問うことが増えた。本稿では、沖縄の地域の現状や昨今の災害の様相が果たして従来型の防災組織づくりやハード整備にフィットしているのかを考える。(沖縄大学地域研究所特別研究員 稲垣暁)

■津波は怖いが、もっと「山津波」の認識を
 沖縄気象台のデータによると、沖縄の雨量は平成19年までの10年間、時間あたり30 mm(山崩れ・崖崩れが起きやすくなり危険地帯では避難の準備が必要。都市では下水管から雨水があふれる)および50 mm(都市部では地下室や地下街に雨水が流れ込む場合がある。マンホールから水が噴出する。土石流が起こりやすい。多くの災害が発生する)の雨が降った回数は、その前の10年の倍以上にのぼる。
 コンクリートで固め尽くされた沖縄の市街地は、豪雨を吸収できない。大量の雨水は地表や排水溝を通って河川に流れ込み、最悪の場合鉄砲水として暴発する。09年に4人の命を奪ったガーブ川の鉄砲水は、識名地域に局地的に降った雨が原因。識名と寄宮の高低差は大きく、1/20の急勾配だ。想定外の豪雨が起こった時、「山津波」が起こる可能性はある。豪雨にしても津波にしても、実際に逃げる道と場所を事前に歩いて確認しておくことが命を守ることにつながる。

■行政は地域の「福祉防災コミュニティ」支援を
 沖縄の自主防災組織率は、全国平均74.4%に対し6.6%(平成22年4月)。自主防災組織の中核を任される自治会は、全国8割の自治体で加入率70%。那覇市は21.9%(平成23年4月)。浦添市も20%台だ。自治会がない地域も多い。多くの自治会が行政と連絡事務委託契約を締結していることで自主防災組織は自治会頼みだが、この加入率ではまちづくりに必要な住民の合意形成は不可能だろう。自治会主体の自主防災組織は沖縄の実情にそぐわないといえる。
 そこで、行政は①日ごろの住民の助け合い関係を把握し、住民および地域団体や地縁組織同士の関係づくりや防災につながる活動 ②防災をまちづくり活動としてとらえ、地域を横断する協議会的組織づくり、を支援することが必要だと考える。地域には自治会から少年野球チーム、新聞配達網、デイサービス送迎、マチヤグヮーや理髪店の商圏まで無数のネットワークがある。そこでは日常的に何らかの助け合いが行われている。それらを防災につなげることと、ネットワークから外れている人を探してケアすることが重要だ。これらの実効性を上げるため、小学校区で「福祉防災コミュニティ」を編成し、防災資機材の常備や防災リーダー・消防団員などの育成を支援することを提言したい。平時は友愛訪問や給食サービスなどを行う。大災害が起こった時に失われる命と財産を考えれば、わずかな投資だ。

■防災無線や避難勧告が機能しない災害事例が頻発
 防災無線など伝達手段の増強はたしかに必要だ。だが、昨今の災害は防災無線が機能しない事例を見せつけている。09年、台風9号で20人が亡くなった兵庫県作用町では、防災無線での避難勧告を聞いたのは27%。大半が激しい雨音や浸水、故障で聞こえなかった。しかも避難勧告が出る前に自主避難した3家族が濁流に流された。今年西日本で92人が亡くなった台風12号水害では、和歌山で集落が土砂と洪水で集落が押し流されたが、災害警戒警報は発令されなかった。しかもその集落は、急傾斜地崩落危険箇所に指定されていない。避難勧告が出る前に死者が出るのが最近の水害だ。
 行政は、正しくわかりやすい情報を迅速に精度の高い伝達手段ですべての住民に完全に伝えることを徹底してほしい。「情報を知らない」という住民を1人も出してはいけない。仕組みづくりや機器整備にとらわれていては、命がおろそかになる。ハード面の補強が追いつかないことは仕方がない。だが、大規模災害はいつ起きてもおかしくない状況にある。今できる改善をすぐに行うことが、1人の命を救う。


震災296日 被災地から(29)
宮城・石巻 ボランティアコーディネーター
まだ自治会がない。住民は引きこもり状態
 ここの仮設住宅では、ほとんどの人が家に引きこもっている状態だ。なかなか出てきてもらえない。入居している70世帯、120人のうち、集会所で行なわれるイベントに出てきてくれるのは20人から30人切るくらい。「来てね」というと、「まだみんなでわいわいする気分になれない」「まだ家でひとりで泣いているの」というおばあちゃんがいる。働いていたり週末は出かけていて出てこれない人もいる。
 「出るのはおっくう」というのもあるだろう。新しい輪に入れない人も多い。いろんな地域からの寄り集まりで、自治会もまだなく、住民同士が顔をあわせる機会がない。班長さんは市政だよりを配る係でしかなく、自治にはほど遠い。
 データ上では若い世代はいるのだが、あまり見かけない。もっとも私たちのプログラムは折り紙やオーナメント手芸など子どもとお年寄り向けなので、若い世代に合っていないだけかも。
 大晦日、そして正月がやって来る。仮設住宅の住民同士で年越し準備を始めようという話を聞いた。こちらではもちをついて四角に切る。仮設住宅で実現したら、状況は変わるかもね。

石巻市:世界3大漁場に面する人口16万人の水産都市。44漁港、加工工場200カ所全て被災。定置網、養殖施設ほぼ全壊。死者・行方不明3954人。全壊家屋4万4千棟。


沖縄を知る ~サンニンの独特な香りに包まれる伝統菓子
来年も元気で長寿!! 1年の厄払いをムーチーで
 2012年の元旦に当たる旧暦12月8日(地域のよっては旧暦の7日で大晦日)は、サンニン(月桃)の葉で包んで蒸したムーチー(餅)を食べ、1年の厄払いをする沖縄の大事な行事日です。サンニンの独特な香りと甘さがあるムーチーは、蒸したもち米を臼でつく本土の餅と異なり、粉状にしたもち米をこねて形を整えてから蒸すものです。なので、沖縄県外の餅とは食感などが異なります。本土には無い、沖縄独自の味です。店頭にも並ぶのを買って食べるのも、この機会に手作りしてみるのも良し!沖縄風に1年の厄払いと来年の健康祈願をしてみてはいかがでしょうか。

 「ムーチー」とは 沖縄の方言で餅という意味で、サンニン(月桃)の葉で包むことからカーサ(葉)ムーチーと呼ぶこともある。旧暦12月8日の節目(地域によっては7日)で、1年の厄を払うために用いる。「御火の神様」(ヒヌカン)と「仏壇」にお供えして家族の健康・長寿と悪魔払いを祈願する。子供のいる家庭では、ムーチーを子どもの歳の数だけ取ってひもで両端をしばり、天井から縄はしごのようにつるす。サンニンの葉を十字にして、家の四方の軒下につるす地域もある。ムーチーの時期は1年で最も寒いとされ、ムーチービーサ(鬼餅寒)という。サンニンを洗う手がかじかむほどだ。

Recipe
①餅粉に水をこねて白糖や黒糖、紅芋などで味をつける。餅は耳たぶくらいの柔らかさにするのがポイント!
②サンニンの葉に油を引き、平たく長方形にした餅を乗せる。
③サンニンの葉で包み、餅を蒸し上げる。

 昔、首里金城村に2人の兄妹が住んでいた。兄は洞窟を住み家として暮らし、夜な夜な牛や馬を食べ、ついには人間まで食べてしまう鬼のような人間になってしまった。一方で、真面目で優しく、村人からも慕われていた妹は、それに心を傷めていた。このままではいけないということで村で会議が開かれたとき、妹は自ら兄を退治すると名乗り出た。一度は洞窟へ向かったものの、兄の変わり果てた姿をみて、妹はあまりの恐ろしさに逃げ出してしまった。裏切られたことに腹を立てた兄はとうとう妹の家まで押し掛けてきた。妹はとっさに機転を利かせ、餅に鉄を入れて兄 に食べさせて殺してしまった。その日が旧暦の12月8日だったことから、健康・長寿を祈願し、悪魔払いするため、ムーチーを食べるようになった。

参考:「沖縄の祝祭と年中行事」(渡口初美著、1987年)、沖縄ぬちぐすい辞典


コラム「牛歩であっても前進を」比嘉弓絵/風の便り編集部
 今年は例年以上にアッという間に時間が過ぎた。震災のあった3月とはいわないまでも、いまだに4月や5月にいる気がしてならない。雲をつかむような手探りの支援活動は牛歩のようにじわじわとしか進まず、焦りや無力感が増大していくばかりだ。しかし、つたないながらもここまで走り続けてきたことを証明してくれるのが、お世話になった人たち1人1人の存在だ。振り返ってみると、この1年、実に色々な職種であったり、年齢であったり、思いを持った素晴らしい人たちに出逢ってきた。人とのつながり、結びつきに関しては、かつてないほど多様で濃い貴重な1年だった。こういう活動をしていると、想像以上に与えられるものの多さにいつも驚く。来年こそはお返しをせねばとまた気を引き締め、愚直に日々を重ねていきたい。たとえ牛歩であっても前進であることに変わりはないはずだ。





  

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2011年12月29日

風の便り vol.41 (12/24発行)

沖縄のサンタから 被災地に甘いプレゼント
暮らしと暮らしをつなぐ「黒糖募金プロジェクト」
 那覇市壺屋にあるエコショップ「がじゅまるガーデン」が行なってきた「黒糖募金プロジェクト」で、募金で購入したお菓子を発送する作業が始まった。募金は被災地に沖縄の黒糖を送ろうと行なわれ、6月10日から12月上旬まで約半年で2万7208円が集まった。
 震災当初、お金の支援はすぐに届かないうえ、被災地まで沖縄から物資を送るのは遠く、ニーズも分からなかった。担当した山崎新さんは、何も出来ない苦悩を多くの人に話すうちに、被災地と沖縄の暮らしをつなげながら沖縄にも何か還元できることがないか考えるようになった。思いついたのが、昔から県民に愛されている黒糖を送ること。「甘いものを食べて少しでもホッとしてもらいたい」と、募金に取り組んだ。届け先は、被災地の子どもたちだ。

 お菓子は、山崎さんの友人が暮らす岩手県宮古市に送られる。友人経由で市に照会を依頼し、同市重茂(おもえ)小学校に決定した。ウニやワカメ、昆布が特産の重茂地区。住民の9割が漁師という地域だ。40㍍の津波に襲われたが、漁協や重要な施設を高台に作っていたため、比較的早く復興に着手できている。重茂小学校には現在、津波被害を受けた鵜磯(ういそ)小学校、千鶏(ちけい)小学校が間借りをし、合同で102名の児童たちが小学校生活を送っている。
 14日、店内で子どもたちに送るプレゼントの梱包作業が行われた。甘いクリスマスプレゼントを送りたい―。県物産企業連合の協力の下、県内業者から購入したり寄せられたりした黒糖やちんすこう、星の砂など8種類の商品を袋に詰めた。参加者は一枚一枚、丁寧に袋の表面に言葉やイラストなどでメッセージをつづった。子ども達が笑顔になれるようにと作業を行う参加者。「サンタクロースみたいだね」と、どの顔にも笑顔があふれていた。

 19日、子どもたちの笑顔を想像しながらお菓子を詰める袋に、一枚一枚丁寧にメッセージやイラストを描いていく山崎さんの元に同小学校の保護者から1通のお礼のメールが届いた。沖縄からの贈り物に喜んだ子どもたちの様子や、お礼の文章と共に被災地の現状もつづられていた。山崎さんは「メールが来たときはびっくりした。嬉しい、の一言だった。つながることができた、出会えたという嬉しさ。いつか、会う事が出来ればという希望がある。そのためにも、沖縄で自分たちがやること、出来ることを続けていきたい」と、笑顔を見せる。
 遠くて何も出来ないという辛さや思いなどを抱え、思いをどの様に届けるのか試行錯誤した9カ月。「被災地だけに頑張らせない。私たちも頑張ろう」。「いつまでも忘れない。そしていつか岩手や宮城や福島に行こう」という思いも集まってきた。「今後も様々な企画を通して、心のやりとりを継続していきたい」。山崎さんは、“忘れない”というメッセージを県内からも発信したいと話した。


震災289日 被災地から(28)
宮城・石巻 ボランティアコーディネーター
子どもたちが運営するⅩmasパーティを支援
 クリスマスが近づき、仮設住宅で行なうパーティの準備の手伝いを23・24日の両日行なっている。前々からクリスマスパーティをしようという声が仮設住宅内であり、それに応えて住民と学生がアイディアを出し合った。24日に開催する。
 きっかけは、仮設住宅の班長さんの「家にこもっている人を仮設住宅の集会所に集めたい」という気持ちから。もしかしたら出て来てくれるかも・・・との思いで始まった。子どもたちがプログラム、招待状作成と配達、司会、出し物までほとんどすべてを行なう趣向になっている。実は、仮設住宅のほとんどの人が家に引きこもっている状態だ。出てきてくれない。70世帯、120人のうち集会所でのイベントに出てきてくれるのは、20人から30人を切るくらい。楽しむところまで気持ちが行かないのが現状だ。
 寒い。夜は氷点下。道に雪が残っている。きょうは昼は晴れたが、夜からまた雪。学生たちが完成させた石巻の地図を一軒ずつまわって配った。寒くて手が震えていた。たまに、軒先で支援団体が作ったクリスマスリースを見かける。寒空に映えている。

石巻市:世界3大漁場に面する人口16万人の水産都市。44漁港、加工工場200カ所全て被災。定置網、養殖施設ほぼ全壊。死者・行方不明3954人。全壊家屋4万4千棟。


避難家庭の子どもたちへ 手作り絵本を制作
沖大、沖国大生ら14人参加 それぞれの思いを込めて
 被災して沖縄に避難してきた子どもたちに絵本を手作りして贈ろうと「手作り絵本講座~被災者の子どもたちへ夢を届けよう~」が20日、那覇市中央公民館の図書館研修室で開催された。沖縄大学や沖縄国際大学の学生、一般から14人の参加者が集まり、講師の平田恵美子さんの指導の下、予定していた時間をオーバーしながら熱心に制作に取り組んでいた。

 絵本はお米のギフト箱や画用紙で製本して作るA4サイズの本格的なもので、内容は各個人の発想にまかせられる。写真や絵を添えるなど工夫を凝らし、世界にひとつだけの絵本を作っていく。この日は背表紙、裏表紙を作るため、画用紙のカットやのり付けなどの作業を行なった。どんな絵本にするかを参加者同士で話し合ったり、講師の平田さんから「会話を入れることでストーリーが生き生きとなり、臨場感が出る」などとアドバイスをもらっていた。
 参加者の仲松萌さん(沖大2年)は、自身が家族と離れ県外で暮らしたとき、「空をみてごらん。月はどこでもつながっているよ」と母親が励ましてくれた経験を元に「『どこに行ってもつながっているよ』と伝えられるような絵本にしたい」と話した。

ヒントは被災地での絵本読み聞かせ活動
 沖縄国際大学の震災復興支援サークル「ゆい・リンク」で代表を務める石垣信幸さん(沖国大4年)は、「沖縄の料理や魚などを紹介したい」と、事前にサークルで出し合ったアイデアを教えてくれた。
 以前、同サークルが企画した大学祭への避難者家族招待で、来場した子どもに琉神マブヤーなどヒーローものが好きな男の子がいたことから、「ヒーローものの絵本を」というアイデアも膨らんでいるという。
 講座を運営するスタッフで、中央公民館職員の棚原美奈子さんは、被災地では読み聞かせなどを行い子どもたちを励ましているという情報を知り、今回の企画を進めてきた。「沖縄にいる私たちが被災した子どもたちに何が出来るかを考え、何か役に立ちたいという若者の思いを絵本に込めて贈りたいと思った」。
 絵本は1月に開かれる防災講座で展示された後、「ゆい・リンク」により活動を通して知り合った避難家庭の子どもたちに贈られる予定だ。講座は2日間の日程で、今月27日に絵本を完成させて発表会を行う。

コラム「いま一度『支援』を考えなければ」石原イカリ/イカリミュージックスクール代表・講師
 3月11日から約3週間後の4月2日に福島県いわき市で支援活動をさせていただいてから半年以上が経過し、少しずつ支援に対する一般的な意識が薄れてきている気がする。もちろん、色々な団体が支援活動を継続しているのだが、様々な問題もあり「支援」という言葉の意味が問われる様な状況なのではないだろうか? 支援という名目でのボランティアビジネスもあり、また、様々な宗教団体が「支援」という言葉で布教に励む活動も多々ある。また、被災者支援にあたる方々の中で、被災者に対し「辛い事はありませんか?」「大変ではないですか?」などという言葉をかけて、逆に被災者の方に精神的な苦痛をあたえてしまい、自殺者を出す様な事例も耳にした。何しろ立ちかわりたくさんの人に辛くはないか?と聞かれるのだから被災者の中には「私は辛いと言わなければいけないのだろうか?」というあってはならない考えが浮かんでしまうのはしょうがないと思う。本当に難しい問題だ。必要な物資が補充され「心の支援」が必要といわれる今だからこそ、もう一度真剣に「支援」という意味を考えなければならないと思う。





  

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2011年12月21日

風の便り vol.40 (12/17発行)

交流会の成果と困難 次につなげたい
福島から避難児童を学祭に招待 沖女短大ゼミで実践・ふりかえり
 沖縄女子短期大学で保育を学ぶ学生たちが、11月26・27日に行われた学園祭「沖女祭」に震災で福島県から沖縄に避難している子どもたちを招待し、楽しいひとときを過ごした。終了後、取り組みについて自己検証を行い、よかった点や難しかった点を出し合って今後の活動や保育に生かす方法を考えた。学生たちは、避難されたみなさんに寄り添うきっかけをどう作り、交流でどのような成果や困難を感じたのだろうか。

■さまざまな支援活動を通じてヒントを得る
 子どもたちを招待したのは、砂川麻世ゼミの13人(写真)。3月11日の震災発生後、実習などで多忙な時間の合間をぬって支援に関わる活動をしてきた。4月に沖縄大学の岩手ボランティアチームが行った活動報告会で現状を学び、募金のほかゼミで勉強会を開いた。6月18日にラジオ沖縄が主催した「ひやみかち東日本!新生活応援交流会」では、実際に被災し避難されているみなさんと触れ合った。翌日、道の駅いとまんで宮城県塩竈市のギョウザを焼いて販売するなど直接支援活動にも加わっている。
 「ひやみかち」で知り合った縁で福島県人会に2回参加したり、支援団体の話を聞くなど交流機会を増やすなかで、ゼミで交流会を行おうという話になった。学生たちは土日もアルバイトなどで時間がなかなか作れないため、沖女祭のプログラムとして実施し、招待することになった。
 招待は、沖女祭初日に行った。支援者や福島出身者による声かけもあり、7家族15人の子どもたちが集まった。学内を自由に回ってもらうほか、4グループに分かれて「ツアー」を行い、おもちゃづくりをしたり、学内のさまざまなブースを回って歩いた。ゼミ生によるハンドマッサージも喜ばれた。
 沖女祭での活動についてゼミで行った検証(ふりかえり)では、子どもはもちろん保護者が喜ぶ姿が見られたことが開催してよかった点としてあげられた。学生が子どもたちとずっと一緒にいることで、大人同士がゆっくり話せたという効果もあった。1年生に引き継ぎ、今後の継続的な活動にもつなげそうだ。難しかった点は、多忙で余裕がなかったこと、それにより混乱したことがあがった。

■先生とゼミ生の思いをみんなで共有
 ゼミを指導する砂川さんは、沖縄から宮城県に進学していた時に阪神淡路大震災が発生し、東北から神戸にボランティア入りして支援活動を行った。また、ゼミ生には阪神淡路大震災直前まで神戸に住んでいて、被災地や被災者に特別な思いを持っている学生もいる。思いはゼミで共有され、できることはないかみんなで模索し続けてきた。砂川さんは、心は被災地にあるが日々のことに手いっぱいで、なかなか関われないことにもどかしい思いをしてきた。「避難者や支援者に出会い、多くの気付きや学びを得て、毎日をどう過ごせばよいのか自問するようになりました。活動を通し、学生たちも日々をどう生きるべきか考えるようになったと思います」。

沖女祭での交流活動 砂川ゼミのふりかえり
〇他のクラスやクラブが企画した手作りおもちゃコーナーや人形劇などの舞台発表、巨大迷路などに子どもたちを参加させることができ、よかった。
〇それと関連して、子どもたちが喜んでいることに保護者の方々が喜んでいらしたのでよかった。
〇子ども達を預かってもらったために、ゆっくり大人同士話ができたのではと思う。
〇ハンドマッサージも癒しにつながった。
●1年生のボランティアにお手伝いしてもらうことがあまりなくて申し訳なかった。何かを感じ取ってもらい、2年生の卒業後にもつながれば。

●ゼミの活動以外にもクラスやクラブで企画した舞台発表などの準備で余裕がなく、ゼミ活動にしっかり参加できなかったことは申し訳なかった。
●掛け持ちで準備をするため、多忙で混乱していた。
●参加者が2世帯だった2日目は、1年生との交流をしてもよかった。


震災282日 被災地から(27)
宮城・石巻 学生ボランティア
集会所での「サロン」の意味が理解できた。
・子どもと話をして「震災でヨーヨーがなくなった」といわれ、何と返したらよいか戸惑った。
・編み物教室は好評である。前のバスで、お年寄りに編み物を教えてもらった住民が、冬に向けて編み物をしていると聞いた。
・子どもと接するのが苦手だったけど、今回は一緒に遊ぶことができた。たまに暗い部分も感じたが、その中で頑張っている姿に励まされる。
・今回で4回目。現地にいけば、被災者とボランティアの区別をつけないでおこうと思った。口の悪い子どもがいるが、僕を相手に発散してくれたらいいと思った。
・2度目の参加で、1度目はどのようにしたらよいか分からなかった集会場での「サロン」が、今回はその意味が理解できた。
・お年寄りが子どもに将棋を教える場面が印象的だった。
・「自分に何ができるのだろうか」と不安であった。しかし、被災者との会話がはずみ、とてもよい経験ができた。
(神戸学院大学のホームページ「学生ボランティア報告」から)

石巻市:世界3大漁場に面する人口16万人の水産都市。44漁港、加工工場200カ所全て被災。定置網、養殖施設ほぼ全壊。死者・行方不明3954人。全壊家屋4万4千棟。



銀天街にツリー型巨大クリスマスカード
福島の子どもたちに笑顔を 「忘れてないよ、の気持ち届けたい」
 「沖縄の子どもたちからいわきの子どもたちに巨大クリスマスカードを贈ろう!」。ツリー型の布に沖縄の子どもたちからの応援メッセージを書いたカードや沖縄本島、離島で採れた貝殻を入れた袋を留めた「巨大クリスマスカード」が10日、沖縄市の銀天街に現れた。音楽教室で不登校児やメンタルヘルスが必要な子どもたちの問題にも携わっている石原イカリさんが企画した。石原さんは震災後の4月、コザインフォメーションセンターが企画した福島県いわき市での2泊3日の支援活動に従事した。知人で地域おこし協力隊の上嶋円香さん、絵本作家のsavaさんらが協力して準備を進めている。

 クリスマスを2週間後に控えたこの日、沖縄市の銀天街で行われたプロムナードコンサートの一角で、イベントを訪れた子どもたちからメッセージを募集した。家族連れでにぎわった会場では、地震や被災者のことを話しながら、時間をかけて一生懸命に絵やメッセージを書く子どもたちの姿がみられた。「がんばってくらさい」「気おつけてください」。つたないながらも一文字一文字丁寧につづられた言葉が並び、袋にも色とりどりのペンで雪だるまの絵や「メリークリスマス」の文字が描かれた。
 「街はクリスマスでにぎわい、県内の支援は薄くなりつつある。原発など暗いニュースが多いなか、被災地の子どもたちが嫌なことも忘れるような楽しい支援ができたら」。支援活動で出会った子どもたちの元気な姿に励まされたという石原さん。「難しいことは大人が、子どもたちには楽しい支援を」と企画した。いわき市の子どもたちの興味を引いて喜んでもらえるよう、カードは「巨大」に、メッセージや貝殻はそのままではなく袋に入れて、開ける直前までワクワクできるよう工夫されている。 
 「お金も大切だけど直接被災地に届く何かを。大きいことじゃなくてピンポイントの支援。それが広がれば良い。『自分たち忘れてないよー』という気持ちを届けたい。それで救われる人はいっぱいいる」と石原さん。クリスマスに合わせてカードを送った後も、年賀状や文通を通した被災地と沖縄の子どもたちの繋がり作りを手伝い、支援していこうと考えている。(写真左奥にあるのがツリー型の巨大クリスマスカード。子どもたちからのメッセージがつまった袋が留められている=沖縄市、10日)


県の義援金募集、受付終了決定
 沖縄県が窓口となり募集していた義援金は今月30日で募集を終了する事が決定された。震災直後に比べ義援金額は減ったが、6日時点で県に集まっている義援金の総額は5億464万7857円。そのうち3億8500万円は被災した7県に配分した。
 しかし、被災地では生活再建や復興を行っていく上で、まだまだ多くの義援金が必要とされている。被災地でのボランティアはできなくても募金を行い、被災地に思いを届けてはいかがだろうか。日本赤十字社、赤い羽根共同募金は来年3月31日まで、あしなが育英会の行う東日本津波遺児支援は期限を設けず継続して募金を行っている。県でも県内に避難してきている方への支援金は引き続き受け付ける。県内被災者への支援金はこれまでに約9200万円(県7500万円、東日本大震災支援協力会議1700万円)が集まっている。被災者への見舞金や交流会、就職説明会の経費として活用されている。詳細は各ホームページ参照。
・被災者支援金の募集(沖縄県) http://www3.pref.okinawa.jp/site/view/contview.jsp?cateid=288&id=24170&page=1
・東日本大震災への対応について(赤い羽根共同募金) http://www.akaihane.or.jp/er/p2.html
・東北関東大震災義援金について(日本赤十字社沖縄県支部) http://www.okinawa.jrc.or.jp/3-15%20gienkinuketuke.htm
・東日本津波遺児支援(あしなが育英会) http://www.ashinaga.org/higashi_nihon/


コラム「『忘れない』ことで風化を防ぎ、自身の防災も」金城周子/沖縄国際大学 法学部3年次
 私はNPOエクスブリッジ主催の東北復興支援インターンシッププロジェクトで宮城県に行き、現地の状況や被災者、支援者の声を見聞きしてきました。そこで聞いた「忘れないでほしい」という言葉。震災から9か月が経ち、遠く離れている沖縄では時間と共に意識が薄れていっているのではないかと感じています。先日あった沖縄での地震。その時私は学校にいましたが、避難しようとする人はほとんどいなく危機感というものが感じられませんでした。「忘れない」ということは風化を防ぐことだけでなく、自身の防災へと繋がるのではないでしょうか。「忘れない」ために伝えていき、自身の防災についても考えるキッカケを作っていきたいと思っています。





  

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2011年12月11日

風の便り vol.39 (12/10発行)

沖縄の備えを考えよう
情報伝達精度の向上こそ、命を救う
災害時、ラジオの機動力どう生かす?
FMよみたんの取り組みから
 家屋が倒壊し火災が広がる絶望的な状況のなかで、落ち着かせてくれたのはラジオの声だった。3日しのげばなんとかなるとわかり、行動の目安をたてることができた。2週間後、自分を心配した人がラジオの安否確認情報で無事を呼びかけてくれていたことを知った。「遠くの誰かが心配してくれている」。ものすごい大きな勇気になった。ラジオからのメッセージは、被災程度に関わらず誰をも「がんばろう」の思いにつなげる。阪神淡路大震災では、このことが地域再生にとって非常に大きな意味を持った。
 読谷村のコミュニティFM(CFM)「FMよみたん」は、災害時に24時間対応で村民に情報を提供する体制を整えている。11月末には新アンテナが完成し、村内をほぼすべてカバーできるようになった。災害時における情報の内容や伝達手段の精度が問われる中で、県内ではモデル事例といえる取り組みを紹介する。(沖縄大学地域研究所 特別研究員 稲垣暁)


被災地で8割がラジオ情報に頼る
 大震災以降、沖縄県民の関心は津波から逃げるため、「標高」にとらわれすぎる傾向にある。逃げるための情報や伝達手段を確立させることは二の次になっているのが現状だ。災害時、携帯電話は回線パンクで使えない。パソコンのネットは使えるが、停電したら限界がある。阪神淡路や中越沖地震のデータでは、発災直後から1週間は、全メディアの中でラジオへのアクセスが8割を占めた。

徹底した電源確保で停電なし
 同局は役場など村の中枢機能が入る施設(文化センター)にあり、停電時も自家発電装置が24時間稼動する。燃料は隣接する村役場から供給されるため、心配はない。また新アンテナは停電しても20分はもつので、いったん文化センター内の旧アンテナに切り替えて放送を続け、その間に新アンテナがカバーするエリアに電源車を出して新アンテナからの放送を再開できる。

災害対策本部から生情報を24時間放送
 村で災害の恐れが発生すると、ただちに24時間対応で災害体制に切り替わる。村との防災協定により、直ちにスタッフは役場内の災害対策本部に入り逐次情報を流す。避難指示などは、村長がラジオを通じて直接村民に呼びかける。トップの声で、村民を落ち着かせるのがねらい。慣れておくために、平時から村長が月1回番組に出る。普段から村長の声を覚えてもらうためだ。
 11月20日に長浜地区で行われた防災訓練では、現地災害対策本部の設置を想定して中継車を出し、シミュレーションを行った(写真)。「1回でもやっておけば、いざというときどう動いたらいいのかわかる」(仲宗根朝治局長)。

パーソナリティ・リスナーが現地レポーターに
 今夏の台風で、村内は50時間停電になった時も、自家発電で1時間ごとの災害時放送を行った。冠水やガジュマルが倒れている道路の情報などが流されたが、こうした情報収集に威力を発揮するのは、村内外の140人を数えるボランティアパーソナリティ。災害発生時、現地レポーターに早代わりする。リスナーからも情報が提供される。県域放送局よりも早い。参加型、双方向メディアの強みだ。

防災無線との連動を
 災害協定を結んでいても、縦割り行政で連携がうまくいかず、ラジオへの情報提供が忘れられてしまうことがある。逆にラジオでは警報が解除されているのに、防災無線は警報を流し続けていたこともあった。停電で防災無線が使えない、故障や激しい雨音、夏場の窓を閉め切った状態で聞こえないといったことが起こっている。防災無線とコミュニティFMを一体化したシステムづくりを検討すべきだ。

県域AM/FM局やソーシャルメディアと連携の必要
 県内には12局のコミュニティFMがある。避難指示が間に合わないほど突発的で巨大な災害が多発する今、双方向性や速報性といった機動力を生かしながら県域局と連携し、情報内容や伝達手段の精度を上げることが求められる。
 ラジオ各局のほか、本紙「風の便り」など紙、IT両方のソーシャルメディアや新聞販売店など地域の情報伝達ネットワークが災害時にどう役割分担するかを考える場も必要だ。


震災275日 被災地から(26)
宮城・石巻 ボランティアコーディネーター
「被災者のため」ではなく、〇〇さんのため。
 隔週末にバスで来てくれる大学生たちと、仮設住宅団地(約250世帯、460人)で支援活動を行っている。住民ニーズに応じて編み物、おもちゃ、囲碁、将棋、ほっとサロン(茶話会)、綿菓子、共用ベンチ制作・設置などを行っている。編み物が毎回好評で、住民同士で教え合い、編み物を楽しんでいただいている。備品(毛糸、編み針など)は日本基督教団関西学院教会から各集会所に寄贈された。囲碁将棋は男性向けのプログラムが少ないことから、囲碁・将棋盤がキリスト教会や社会福祉法人、大学から各集会所に寄贈されたもの。おもちゃは子どもと遊んだり、会話のきっかけを作るため。外で遊びたい子どもも多いので、集会所付近の安全な場所で遊んだ。
 津波の衝撃が住民のこころの中に渦巻いている。伝えることで少しは楽になると思う。現地では笑顔の人、そうではない人がいる。マスコミでは分からないことがある。現地で活動することの意味を感じる。「被災者のために」ではなく、「石巻市境南仮設住宅の○○さんのために」という関係を作っていってほしい。

石巻市:世界3大漁場に面する人口16万人の水産都市。44漁港、加工工場200カ所全て被災。定置網、養殖施設ほぼ全壊。死者・行方不明3954人。全壊家屋4万4千棟。


年始のあいさつ 支援をかねて「元気だ状」で
関西・東北の大学生らが企画
感謝の気持ち込めたオリジナルハガキ

 関西、東北の大学生と企業が「元気だ状プロジェクト」を企画した。震災で多くの犠牲者が出た今年、おめでたい意味での「年賀状」を出しにくいという声がある。そこで、支援への感謝や友人・知人への近況報告などが気軽にできるようにと気遣って考え出された。被災した人への支援も組み込んだ。
 震災を通して命や絆の大切さを再確認した今年だからこそ、心を込めた年賀状を送ってみませんか。メールや電話で簡単に済ませるより、「元気だ状」で大切な人へ感謝の気持ちを伝えてみてはいかが。

 「元気だ状」は、お世話になった人や家族・友人に、感謝の気持ちや元気でいることを伝えやすいようにとデザインされた年賀状。これを購入すると、被災した人のハガキ代や送料を支援できる。
 支援者(被災地外からの注文)は、デザインされた5枚セットの私製ハガキを400円、年賀・官製ハガキを500円で購入することができ、収益は支援金にあてられる。被災した人は同様の私製ハガキを無料、年賀・官製ハガキを200円で購入でき、送料・代引き手数料(630円相当)が無料になる。
 被災した東北出身のイラストレーターや関西の書道家など26人がデザインに参加、全部で50種ある。着物を着た女性が丁寧にお辞儀をする絵が描かれたものや、「感謝」や「前進」「負けないぞ」などと力強い字で書かれたもの、来年の干支である辰がかわいらしくデザインされたものから選ぶことができる(左はデザイン一例=元気だ状プロジェクト提供)。詳細や注文は、同プロジェクトホームページ(http://www.genkidajo.com)まで。


Information
犬も人もみ~んな友達♪ いちゃりば兄弟交流会(全3回)
第1弾 セラピー犬と一緒 クリスマス交流会
 セラピー犬認定審査に合格した認定セラピー犬とのふれあいやゲーム、バーベキューなどを行います。
【日時】 12月18日(日)10~15時
【場所】 沖縄市白川米軍娯楽施設
【参加費】 一般:1000円 ニライカナイカード保有者:無料
【申し込み・問い合わせ】
NPO法人沖縄災害救助犬協会(うるま市字西原204)
 098(979)4111 090-1940-6667
 メール:orda4111@yahoo.co.jp
*メール申し込みの場合は「件名」に「参加申し込み」、「本文」に「①参加希望イベント名、②世帯主氏名、③参加人数=高校生以上の大人と中学生以下の子ども人数、④連絡先電話番号」を記入してください。

第2弾 ヤンバル山中の自然散策会
【日時】 1/28(土)12~22時、29(日)7~11:30
【場所】
東村村民の森 つつじエコパーク(1日だけの参加も可能)

第3弾 セラピー犬 わんワン大運動会
【日時】 2/26(日)10~15時
【場所】 沖縄市白川米軍娯楽施設(変更の可能性あり)

=NPO法人沖縄災害救助犬協会=
セラピー犬認定審査に合格した認定セラピー犬55頭が登録され、ドッグセラピーの動物介在活動を行
っている。このセラピー犬を活用し、沖縄に在住する震災避難者のみなさんとふれあい交流会を行う。


コラム「ユイマールで 現地に心のやすらぎを」大城 健/YORISOI 隊 代表・北中城村社会福祉協議会
 東日本大震災後の4月、ボランティアセンターの立ち上げのため、福島県新地町に入りました。被災地のあまりの被害の大きさに言葉を失い自分の無力さを痛感。沖縄に帰ってから、何かできることはないかと考えました。
 新地町のみなさんと関わるなかで、時間が経つうちに求められるニーズは変化するものの、一貫した「被災地を忘れてほしくない」という強い気持ちを感じました。そこで、6月から有志で活動を始め、10月に北中城村YORISOI隊を立ち上げました。月1回現地に赴いて炊き出しなどの活動を行っています。最後の一人まで寄り添う気持ちで、様々な分野の専門家と共に町民と交流しながら、沖縄の癒しを届けています。
 最近は新地町に入るとスタッフから「おかえりなさい」と声をかけられます。沖縄からユイマールのあたたかい風を吹かせることで現地の方々が少しでも心のやすらぎを感じてくださるならうれしく思います。そして、北中城村と新地町のように、一つの村が一つの町を支援していく形が他の市町村に広がっていくことを期待しています。



  

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2011年12月07日

風の便り vol.38 (12/3発行)

「私たちにできることを」思いが結実
沖縄国際大サークル「ゆい・リンク」大学祭に避難家族招待
 被災・避難者を支援する沖縄国際大学の学生サークル「ゆい・リンク」が、11月26、27日に行われた同大学祭に避難家族を招待し、福島・宮城出身の12世帯30人が模擬店やステージを楽しんだ。震災後すぐにサークルができてから、ようやく実現した具体的な支援活動だった。震災から8か月が過ぎ、被災地に関する報道は減少し、支援の機運も下がっている。思いが風化し継続に行き詰まる支援もあるなかで、メンバー11人は初心を大切に守り続けながら初めてのプロジェクトにこぎつけた。

「ニーズと合わない」模索続く
 ゆい・リンクは、石垣信幸さん(4年)を中心に福祉を学ぶ学生で「私たちにできることを」と4月に発足した。当初はどう動いてよいかわからず、模索が続いた。仲宗根維子さん(4年)は「避難者のニーズと、私たちができることがどうしても合わない感じだった。変化のきっかけは、ラジオ局主催の避難者交流会にボランティア参加し、避難家族と直接向き合えたこと。『情報が届かない』『支援が受けられていない』という声を聞けたことは大きかった」。
 避難家族を学祭に招待することに決め、8月から準備を開始。企業の協力で無料印刷した両面カラーチラシ500枚を持って公共機関や店をまわった。地域のスーパーやコンビニ、児童館、公民館、郵便局のほか、歯科、小児科、図書館など母子避難者が利用しそうなところに設置のお願いに行った。
 足を運ぶにつれ、取り組みを応援する輪が広がっていった。大型スーパーが店内掲示、行政は避難者への定期的な郵便物に同封した。支援団体「つなぐ光」や東日本大震災支援協力会議がブログに掲載、地域のFM局が呼びかけを行った。琉球新報も直前に記事を掲載した。広報にかかった費用は、結果的にガソリン代だけで済んだ。

活動を知ってもらうだけでも
 大学祭では、受け入れ窓口とキッズスペース(休憩室)を設置。無理に交流してもらうより、母子がのんびりできるスペースにした。大学祭実行委員会を通して賛同を得た25模擬店の割引券を発行、避難家族に配布した。
 どれくらいの人に来てもらえるか不安だったが、20人から連絡があった。出店したいという申し出もあり、急遽大学と交渉して出店してもらうことになった。染物やアクセサリーを売るブースで、学園祭の盛り上げに一役買った。参加した家族や子どもたちは、にぎやかな大学祭で学生たちと触れ合うことができ、笑顔を見せていた。
 石垣さんは、「発足してから時間がかかった分、じっくり状況を見て活動できた。今回来れなくても、こういう活動をしている人がいると知ってもらうことで、1人でも元気になれたら。今後は、つながりができた方に郷土料理を教えてもらう会などの企画を考えたい。東北の『芋煮会』をしたいという方もおられ、お手伝いできれば」。
 被災地や避難者の支援は、10年先を考えながら腰を落ち着けて取り組むステージに移っている。ゆい・リンクも、後輩を育てつつ支援を継続する。


震災268日 被災地から(25)
大槌・津波浸水地域の商店主
16年前の被災地に。大槌もいつか復興する。
 16年前の被災地・神戸で大きな市民マラソン大会(第1回神戸マラソン)が開かれるというので、被災地同士の交流になればと思って大槌町の4人と遠野市の6人で応援に行きました。新長田駅前にそびえる「鉄人28号」の下で、大槌のメカブやワカメなど海産物を入れた「磯ラーメン」を大槌の製麺所の人たちと一緒に作りました。1000食を食べていただきました。
 同じ大地震の災害を受けたまちや人々と触れ合い、ものすごく親近感を感じました。大会では多くの人が助け合い、励まし合っていました。2万人以上いたランナーには東北の被災地の人もたくさん参加していて(641人がエントリー)、大きな声援を受けていました。とても大きな感動をいただいきました。震災で傷つき、立ち上がっていった神戸の姿を見て、大槌もいつかきれいな町になるのかと思うと、とても楽しみです。
 津波で1階部分が全壊したお店は、5月に沖縄から学生さんが支援に来てくださり、6月には再開できました。今は、近くの幼稚園児向けに毎日160食のお弁当を作っています。みんな、一生懸命がんばっています。朝昼晩、がんばって働いています。とにかく、働くことからです。
 今日は暖かいですが、明日から寒波が来ます。元気で冬を越したいです。店の2階に泊まれるので、ぜひまた来てくださいね。

大槌町:三陸海岸中央部にある漁業の町。高さ15mの津波に町全体が壊滅的被害を受ける。人口1.5万人の11%が死亡・行方不明。死亡率の高さは被災自治体で2番目。


ファミリーサポートセンター「避難家庭子育てサポート事業」
那覇市で子育て中の避難家庭に利用券
(ニライカナイカード所有者)
 急な残業や子どもが突然発熱したときのお迎えなど、子育て中の「困った」をサポートする「ファミリー・サポート・センター」が、那覇市に居住する子育て中の避難家庭にサポート券2万円分(ひとり親家庭は3万円分)をプレゼントします。

[期間] 平成24年3月24日まで
[対象]
「ニライカナイカード」を所有し、那覇市内に居住する子育て家庭
(ただし、ファミリー・サポート・センター会員登録が必要)
[支援内容] ファミリーサポートの利用料金2万円以内(ひとり親家庭は3万円以内)のサポート券を提供。
[申し込み・問い合わせ]
那覇市ファミリー・サポート・センター
098(857)8991(直通) 月~金曜の9時~18時

ファミリー・サポート・センター
 「育児の援助を行う人(協力会員)」と「育児の援助を受ける人(依頼会員)」を結び付け、子育ての相互援助を応援する有償の会員制組織。子ども1人当たり1時間のサポート料金は、月~土の日中(7時~19時)が600円、夜間(19時~22時)・日祝日・年末年始・慰霊の日(6月23日)が700円で、兄弟姉妹など2人目からは半額。送迎等に要した移動費や食事代などは依頼会員が負担する。協力会員はセンターが指定する講習会を受講。援助中の事故に備えてファミリー・サポート・センター補償保険に一括して加入する。

体験者のお話に耳を傾け、激励をこめて平泉や松島を巡る旅
「震災復興支援企画!東北応援ツアー4日間」
 4月から復興支援番組の放送を続けるFMよみたんが、東北支援ツアーを企画しました。石巻など被災地で、津波被害や避難生活、復興の様子について5人の方の体験に耳を傾けます(希望によっては4人)。また、今年6月に世界文化遺産登録された平泉(岩手県)や日本三景の松島(宮城県)など、激励をこめて名勝地5か所を巡ります。仙台出身で読谷村在住の同局パーソナリティ、玉木千春さんが案内人を務めます。
 復興が始まった地域を観光することは、観光代金のほかその土地の名物料理・特産品をいただいたり、土産物を買うことで経済や雇用への貢献にもつながります。復興にがんばる人々の姿に共感し、観光資源だけではないその土地の魅力に触れることで、通常の観光とはひと味もふた味も違う喜びを得ることができるはず。

[期間] 平成23年12月20日(火)~23日(金・祝)
[料金] 12万9千円(お一人様、支援物資代5千円を含む) 
*内訳は移動費、宿泊費、朝・昼・夕それぞれ3食分の食費、観光入園料金、旅行傷害保険など。
[旅行企画・実施]
沖縄スカイ観光サービス
098(958)1193(担当:當山)
[案内] 
・1泊目はホテルではない宿泊施設のため、3~4名の男女別相部屋となります。個室またはグループでの希望は追加料金が発生します。
・仙台市内1名部屋希望の場合は、3千円追加となります。
・申し込み後の取り消しは取消料金が発生します。
・最少催行人数20名。

●旅程
20日 平泉・毛越寺、気仙沼大島(泊)
21日 気仙沼大島、気仙沼市内、平泉・中尊寺、仙台(泊)
22日 松島・瑞巌寺、石巻市内、仙台(泊)
23日 仙台(那覇へ)

■松島
 宮城県松島湾内外にある大小260余りの諸島で、日本三景(厳島・天橋立・松島)の1つ。松尾芭蕉が「奥の細道」で松島を訪れた際、あまりの絶景に句が浮かばなかったほど美しい。

■平泉・中尊寺金色堂
 国宝。今年6月「平泉-仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群」として世界文化遺産に認定された。松尾芭蕉が「夏草や兵どもが夢の跡」と詠んだことでも有名。源義経をかくまい源頼朝に滅ぼされた奥州藤原氏をまつる浄土教の寺。

FMよみたんは毎週木曜日13時から78・6Mhzで復興支援番組「読谷から日本の為に」を放送中!


コラム「ボランティアの場を提供し、熱意を起こさせたい」奈良 蓮/NPO法人プロミスキーパーズ
 路上生活者(ホームレス)や困窮者の支援で特にいえることだが、弱者の支えとなる活動は常に世から忘れ去られがちだ。東日本大震災では、その出来事をそれぞれが胸に止め、多くのボランティアが助け合いの手を差し伸べた。そしてそれは、大きな力となった。一人ひとりに情熱が生まれ、一体となったのだ。しかし、震災から日は過ぎ去り、その熱意は徐々に冷めていく。
 震災があったことを忘れないように、まだ課題があることを忘れないように、行政にも声を発信し続け、炊き出し活動、ホームレス者の巡回相談活動を通してボランティアの場を提供することで、地域を巻き込み、熱意を起こさせる支援を行っていきたい。


 

  

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2011年11月30日

風の便り vol.37 (11/26発行)

「最後の1人にまで寄り添いたい」
福島・新地町中心に月1回現地入り支援 北中城村YORISOI隊
 北中城村役場や村社会福祉協議会の有志、自治会員など村民で組織する「北中城村YORISOI(よりそい)隊」が、東北3県の仮設住宅支援を行なっている。福島県新地町を中心に、6月から沖縄そばの炊き出しなどを行ってきた。これまで以上に村をあげて支援しようと10月に改めて発足式を行い、継続的な支援を計画した。仮設住宅が終了する2年後まで月1回現地に赴き、「最後の1人にまで寄り添う」つもりだ。

-1つの村が1つの町を応援
 同チームは村社協の大城健さんを中心に発足した。現在20人で構成する。NPOスタッフや歌手も参加している。新地町は、県社協の呼びかけに応じた大城さんが4月から5月に赴き、災害ボランティアセンターの立ち上げに関わった地域だ。1つの市や村が1つの地域を支援する仕組みは、絆を深め継続的な支援につなるよう工夫された試みでもある。将来的には、同村と支援地の災害姉妹都市協定を結びたいという目標も掲げている。

-「現地の声を聞いてほしい」
 仮設住宅への定期的な炊き出しのほか、被災者の癒しを目的としたセラピー犬とのふれあい、村が推進するEM菌を活用した土壌改良やにおい対策、絵描きによる似顔絵コーナーなどの活動を行う。「(被災地に赴き、交流を通して)現地の声を聞いてもらいたい。聞くことから始まる」と大城さん。村内だけでなく、村外からも隊員を募集しており、「YORISOI隊で経験を積んで、自分の住む市町村に持ち帰ってもらえれば。できれば市や村ぐるみで応援を続けてほしい」と話し、支援の広がりも期待した。

-ボランティア隊員、被災地への支援金など募集中
 次回は12月9日から12日間の日程で、新地町と三陸地方での活動を予定している。ボランティア隊員の派遣費用の一部は、赤い羽根共同募金の助成金や同隊への寄付を活用し、負担する。
 問い合わせは、事務局090(7166)3555。被災地への支援金やYORISOI隊への寄付の振込先は、琉球銀行北中城支店。口座番号は211805。口座名義は、北中城村YORISOI隊 代表 大城健。


震災261日 被災地から(24)
大槌・小鎚第17仮設住宅 住民

少しずつ、前を向いて歩き始めた感じだ。

 避難所が解消になっていったん花巻に行き、9月に大槌町の仮設住宅に戻ってきた。両親とは別に1人で借りている。両親が住む仮設住宅は、ここからもう少し川を下った、町に近い地区。大槌町は北側の吉里吉里地区、海沿いの安渡や赤浜地区以外は内陸に向かって伸びる2本の川沿いに仮設住宅が集中している。私が住む仮設住宅がある地域は、山あいの小鎚川に沿って20棟の仮設住宅が点在している。安渡や赤浜地区の人で、地元の仮設住宅に入れなかった人もこちらの仮設に来ている。
 私たちがいた城山体育館避難所の人たちは、ほとんどが小鎚川沿いの仮設住宅に入っている。両親がいる仮設住宅には、避難所の1階で一緒だった10世帯ほどが移っている。2階の人たちは対岸の山側にある仮設住宅に結構おられる。しかし、震災前に近所で一緒だった人たちは、バラバラになってしまった。私の家は、町長をはじめ多くの職員が津波で命を落とした役場のすぐ裏にあった。町の中心部で被害が最もひどかったうえに、震災後のコミュニティもバラバラに。安渡や赤浜は地域でまとまって仮設住宅に入れているが、町方の人は分散してしまった。小鎚川沿いではそれぞれの仮設住宅に3、4軒ずつ分散入居している感じだ。
 仮設住宅には、心のケアをする医療チームがずっとまわってくださっている。他の支援も来られている。少しずつ、前を向いて歩き始めた感じだ。町なかから離れた山あいにあるため不便なことが多いが、意外なことに携帯電話も不便な状態になっている。通話状態がよくない。山間部だからというよりも、住宅の建材のせいではないかと思っている。というのも、家の外に出ると電波がよくなるからだ。
 冬が近づいてきた。最高気温は、平均すると7~8℃くらいかな。最低気温が氷点下になる日も出てきた。私は町内で当面の仕事が見つかったので、バタバタしている。部屋にはまだ荷物が散乱している。ところで、次はいつこちらに来られますか?お待していますよ。

大槌町:三陸海岸中央部にある漁業の町。高さ15mの津波に町全体が壊滅的被害を受ける。人口1.5万人の11%が死亡・行方不明。死亡率の高さは被災自治体で2番目。


被災地で発行された手書きの新聞 -「石巻日日新聞」報道部長が講演
「自分たちには伝えることしかない」

 宮城県東部の石巻市、東松島市、女川町で発行される石巻日日(ひび)新聞(本社・石巻市、従業員30人)は津波で編集や印刷の機器が使用不能になる中、手書きの壁新聞を6日間発行し続けた。発行の指揮を執った武内宏之報道部長が19日、那覇市内で講演した。震災時の様子や心境、その後の取材で見た現地の様子を優しい口調で丁寧に説明。地元で感じた教訓や、前を向いて立ちあがろうとする現地の声も届けた。最後は、「もうそろそろ自分たちの足で立ち上がって、自分たちで前向きにやっていかなければという声が聞こえてくる。新しい街をつくっていく。見守っていただきたい」と語った。
  * *
 武内さんの貴重な講演をより多くの方へ伝えたいと思い、語り口調そのままに内容をまとめました。まとめる際に、話の順番など若干の修正を加えています。

発行を止めたくない。
フェルトペンで手書きの壁新聞
 「自分たちが新聞を発行している地域がこんな状況。こんな時こそ何かしなければ。自分たちの存在を自分たちで否定することになる」。震災当日、明日の紙面を話し合う席で社長が言葉を発した。その言葉を受け、「自分たちには伝えることしかない」と感じた。創刊100周年を翌年に控えてもいた。発行を止めたくない、そういう記録を出したくない。意地もあった。石巻日日新聞には、新聞発行を政府が禁じた戦時中も、先輩記者たちが紙に手書きで思いを乗せて地域に配り歩いたという武勇伝が残っている。紙とペンがあれば発行できる。揺れでグシャグシャになった社内を見渡すと、フェルトペンと濡れずに生きていた印刷用の新聞ロールがあった。

役割がある。被災者の声に応えよう
 しかし震災後から携帯がつながらず、外出していた記者はそれぞれが孤立した状態。中には津波に流されていた者もいた。もちろん取材用の車両もパソコンも使えない。そんな中、被災地外の新聞記者は自分たちの知らない地元の被害状況を伝えていた。記者としては悔しかった。「しかし、全国紙は被災地のことを全国に伝えるのが役目。それぞれの役割がある。被災者の声に応えよう」と思いを新たにし、物資など生活情報や電気の復旧などの取材に没頭した。出来上がった壁新聞は、人が殺到して張り出せないくらい食い入るように熱心に読まれた。「地域の回覧板であれ」。創刊者の言葉だ。

一斉に逃げる時のルールづくり
安否をとる方法の確認を
 もともと、地震の多い地域。宮城沖地震を想定してはいた。しかし今回はM9.0の史上最大規模。部屋が歪むような体験は初めてだった。まるで「映画のワンシーン」をみているようだった。1.5mも浸水した会社の前で、ものすごいスピードで車が流されていく。中にはフロントガラスを必死でたたく人の姿があった。何もすることができない。助けられないもどかしさ。現実だと受け取ってしまうと自分が壊れてしまう。心を保護するために自然とバランスをとったのだろうか。
 今回の震災では、逃げようとした車で渋滞し、車の中で亡くなった方も多かった。車を使った逃げ方では同じことを繰り返す。改めて一斉に逃げる時のルールづくり、対策が必要だ。また今回の地震は、子は学校、親は職場、祖父母は家庭と家族がバラバラの時間帯に襲ってきた。家族内で安否をどうとるか確認しておくことも必要だ。

心の復興はまだ。
一方で新しい街を作っていこうという声も
 被災地はガレキも片づき、目に見える部分では復興に向けて歩みだしている。これが被災地かと思えるほどだ。しかし、目に見えない部分、心の復興はまだ。3県の中でも最大規模の死者4000名超を出した石巻では、遺体を火葬することができず、土葬にしたケースも。つい先日取材したある消防士は妻と子が未だに行方不明で、休日に妻と子を探し歩いている。つめ跡は深い。水産の中小企業が多いが、ほどんどがやられた。約2万人近い労働者が、再建の目途がついたら再雇用するということで解雇されている。
 大切な方を亡くされた方、整理がついていない方、いっぱいいる。しかし一方で、もうそろそろ自分たちの足で立ち上がって、自分たちで前向きにやっていかなければという声が聞こえてくる。新しい街をつくっていく。見守っていただきたい。

[MEMO] 石巻日日新聞(いしのまきひびしんぶん)
 宮城県石巻市、東松島市、女川町をエリアに発行している夕刊紙。東北関東大震災で被災し、停電と浸水によって編集、印刷設備が使用不可能に。しかし無事だった新聞印刷用のロール紙を切り取り、12日から17日までの6日間、手書きでの新聞発行を続けた。手書きの新聞は避難所など6か所に掲示。支援物資や電気回復の情報など生活情報を伝えながら、被災者を励まし続けた。地域へ情報を伝え続けたその姿勢を米ワシントンの報道博物館ミュージアムが評価し、壁新聞を展示したことでも一躍有名に。全社員28名、うち記者は6名。1912年創刊、来年で100周年を迎える。


コラム「現地の情報に敏感に沖縄からできることを」秋本康治/NPOエクスブリッジ
 2011年3月11日、東日本大震災が発生した。震災当時、時間の自由がきく立場であった自分は、震災直後から被災地入りしていた友人のつてもあって、被災地の課題解決のために少しでも力になれればと、4月の上旬から宮城県でのボランティアに参加した。その後、縁あって沖縄へ移住することになった後も、沖縄からできる震災復興への活動を行なっていきたいと、NPOエクスブリッジで沖縄の大学生が東北で行うボランティアのコーディネートをしてきた。震災から半年たった今、東北に残って現地の方と産業の復興に向けての活動を行なっている友人や、活動を通じてつながった現地の人など東北に多くの知り合いができた。こうした東北の復興のために懸命にがんばっている人達のために、これからも現地の情報に敏感に沖縄から出来る活動を行なっていきたい。



  

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2011年11月24日

風の便り vol.36 (11/19発行)

体感温度の低さに驚き 意外に寒い沖縄の冬
日焼け対策が必要な日も・・・うちなー冬支度入門
 クリスマスを過ぎるあたりから強い風や冷たい雨が続き、体感温度が下がってさむーい思いをする日が続く。かと思えば日差しが強く、秋冬でもTシャツ1枚で過ごせたり、日焼け対策が必要な日もある。「沖縄の冬は、実はとても寒い」というのが、首都圏や京阪神から沖縄に長く移り住んでいる人たちの率直な声です。理由は、大陸からの高気圧の縁がちょうど沖縄付近にかかり、天候が不安定になって雨や風が続く“雨季”になるからなのです。県外であまり知られていない沖縄の冬を乗り切るためのポイントをご紹介します。

【服装】
◆夏に比べると朝晩は涼しいが、日中は天気や日差しに左右される。半袖もしくは薄手の長袖に上着を用意するとどんな天気でも対応しやすい。
◆沖縄の冬の寒さは風に影響されるので、寒さ対策としては風を通さない生地を選んだほうがよい。
◆それほど寒くなくても本土の流行に合わせて、お洒落でブーツやマフラー、ジャケットなどを着用する人も。ヒートテック素材の下着やジャケット、ブルゾンなども普通に使っている。
◆暑い日はTシャツを着ていてもOK!!

【気候】
◆10度以下になることはめったにないが、雨の日や北風が強い日は体感温度を下げるため意外と寒い。晴れた日は暑く、極端な寒暖差で体調を崩す県民は多い。天気予報は「気温」よりも「天気マーク」、「風」に注意する。

【その他】
◆日差しが強い日は冬でも日焼け対策を。
◆暖房はエアコンでOK! ただし、乾燥に気をつける
◆沖縄の冬は雪が降らないので、涼しい秋冬にマラソンやゴルフ、ダイビングなどスポーツを楽しむ人が多い。運動することで体も温まるので寒さ対策としてもお勧め。

沖縄あったかごはん
ハーシルー
「クンチ(「根気」の沖縄方言)」をつける沖縄流超簡単おみそ汁。朝食に、風邪の時に大活躍!

【材料】・・・かつおぶし1つかみ、みそ適量(あれば「ラード」をお好みで)
【レシピ】①右の写真のように器にかつおぶしを1つかみ、みそを適量入れる。②沸騰したお湯を注ぎ、箸でみそを溶かしながらいただく。
【ポイント】
◆かつおぶしからきちんとだしをとるため、沸騰させたばかりのお湯を使うと良い。
◆「ラード」(豚の脂身を油を敷かずに弱火で炒め、出てくる汁を白くなるまで冷蔵庫などで冷やしたもの)を少し入れると旨みが増す。


震災254日 被災地から(23)
いわき・カフェ経営(沖縄避難を経て、故郷で再起した夫婦)

あきらめない。出会いと努力が奇跡を生んだ。
 その夫婦はいわき市で被災し、震災1週間後から妻の実家がある沖縄にアパートを借りて身を寄せていた。夫は非常に重い病気と闘っていた。全くどうしていいのかわからない状態だった。沖縄に来たのは、夫がいなくなった後の妻の余生も考えた、悲痛な決心だった。仕事も気力もなく、精神的にも肉体的にも非常に苦しい状況が続いていた。
 ひょんなことから、夫婦は同じく福島で被災して沖縄に来ている人と出会った。その人は、すぐ目の前に迫る津波を前に「この福島の惨状を記録しなければ」の一心で、死を覚悟して写真を撮っていた。交流を続けるうち、不思議なことに夫の気持ちがどんどん前を向くようになっていった。気が付けば、なんとかして働かなければという思いが起こっていた。
 奇跡は起こった。沖縄に来て2か月。夫が、2週間ごとに抗がん剤を打ってもらっていた医師から「病巣が消えている」と診断された。夫婦は、その日に「働こう!」と決めた。そして、「どうせ働くなら一生懸命働いて貯金を貯めて、自分の店を持とう」と決心した。行政から施されていた経済支援を断って仕事を見つけ、夫婦2人で朝昼夜休むことなく必死で働いた。
 やがて、どうせやるなら夫の故郷であり長年住んだ被災地・いわきに帰って店を出そう、と考えるようになった。とにかく働いて貯金を作り、9月末に半年間過ごした沖縄を後に、いわきに戻った。明るい暮らしも健康も、すっかり取り戻していた。
 11月15日、念願だった「ホットカフェ空風(くうふう)」をいわき市小名浜の、津波の跡がまだ癒えない港の近くにオープンした。漢字は沖縄をイメージし、読みは「幸福」に近い響きから、この名前にした。沖縄で店を出すつもりで考えた店名をそのまま付けた。
 夫婦は、沖縄での半年間がとても大きかったと実感し、感謝している。メニューには沖縄料理はもちろん、月桃茶も。沖縄と福島、そしていわきとの交流拠点になることを夢見ている。

いわき市:福島県内最大で東北地方第2の都市。人口33.5万人。全域で大地震・津波の被害が発生、死者・行方不明347人。原発から30~40km圏内だが、行政は安全宣言。


沖縄を知る ~琉球王府時代から戦後まで、貧しい時代を支えた食材「イモ」
いいイモの日 旬の味覚を召し上がれ
 11月16日は「いいイモの日」でした。イモが旬を迎えることや「いい(11)イム(16)(沖縄方言でイモのこと。ウムとも言う)」と、読めることからこの日に定められました。
 沖縄とイモの関係は実に400年以上の歴史があります。現在の嘉手納町で生まれ育った野國總官(そうかん)という役人が中国から甘藷(かんしょ=イモ)を沖縄に持ち帰ったことが日本のイモ栽培の始まりとされています。当時の琉球は貧しく、貧困にあえぐ人々を救ったとも言われます。長い間主食として沖縄の食には無くてはならない、なじみ深い食べ物でした。
 代表的な紅イモはじめ、県内では様々な種類が生産されています。葉や茎もおいしく料理していただけます。本土では食べる機会の少ないイモやイモ料理にぜひ挑戦し、短い秋の旬の味覚を楽しみませんか???

紅イモ
 沖縄を代表する最も有名なイモ。鮮やかな紫色の実が特徴的だ。読谷村や八重瀬町などを中心に県内各地で栽培され、沖縄土産や菓子の材料にもよく使われている。ぐしちゃんいもという種類が焼酎「紅一粋(ヘリオス酒造)」に使われるなど、幅広い利用にも期待がされている。

野国いも
 野國總官にちなみ名を付けた嘉手納町産の甘藷。同町にある「道の駅かでな」では、野国いもを原料にした「野国いもソフトクリーム」を販売している。同町では麺に野国いもを練り込んだ沖縄そばやアンダギーなども開発中。地域おこしにも一役買っているイモだ。

沖縄甘多(カンタ)芋
 八重瀬町などを中心に栽培が始まった黄色い実のイモ。甘みが強い。生産量は少なく、市場に出回る量は限られている。県内菓子メーカーのナンポー通商から沖縄甘多芋100%使用した「恋するぽてと(きいろ)」が販売されている。ぜひ味わってみてはいかが。

田イモ
 野國總官が伝えたイモ(紅イモ、サツマイモ)とは異なり、サトイモの一種。方言でターンムなどと呼ばれる。甘みは少ないがほくほくしてさっぱりした味わい。親イモに子イモ、孫イモがなる様子から「子孫繁栄」を願う縁起もので、祝いの席には田イモを使った料理が欠かせない。茎(ズイキ)の部分はムジと呼ばれ、汁物(ムジ汁)にするなどしておいしくいただける。

カンダバー
 沖縄の方言でイモの葉を意味する。鉄やカルシウムなどのミネラルやビタミン類、ポリフェノールなども豊富に含まれている。みそ汁の具やジューシー(沖縄風炊き込みご飯)などに使われる。固いものや、苦みがあるものもあり少々食べづらい。最近では品種改良を重ね、苦みも少なく柔らかくて食べやすいカンダバー「ぐしちゃんいい菜」も栽培されている。南部の直売所やファーマーズなどで販売されているのでぜひ挑戦してみては。ちなみに疑問を感じた時「ナンダバー?カンダバー」と言えるようになったら、あなたは立派なウチナーンチュ!?


Information
避難者のみなさん、一緒にクリスマスを過ごしませんか
生活介護事業所みさきでは、毎年行っているクリスマスパーティに県内に避難されているみなさま(どなたでも)をご招待します。車いすのシンガー謝花伊早武さん、琉大ダンスサークル、エイサー隊などがパーティを盛り上げるほか、アメリカ(基地内)のピザが食べ放題です。
 一緒に楽しい時間を過ごしませんか。
【日時】11月26日(土) 14時~17時
【場所】沖縄市老人福祉センター かりゆし園 ホール(沖縄市知花6-36-17)
【連絡先】098(989)0766 090(8290)3060 080(2697)2041 (照喜名)
【主催】NPO法人フレンズハウス

コラム「”来て良かった”と思える支援を」仲根建作/那覇市社会福祉協議会

 約190世帯が民間住宅の借り上げ制度で沖縄に居住されています(11月10日現在)。原発の影響による避難の福島県が8割で、子どものためにという避難世帯も多く、ひとり親状態の世帯が2割強と多い。県の避難者アンケートでは、仕事と子どもの教育環境の悩みが多いとのようです。
 様々な故郷への思いが交差する中、出ることを判断されたのだろうと思います。沖縄に住むこととなった避難者の方々が、沖縄の人情に癒され、励まされ“沖縄に来て良かった”と言っていただけるような支えが継続的に必要です。その担い手として、那覇市社会福祉協議会には「地区コーディネーター」がいます。自治会や子供の学校PTAといった地域の輪の中で、穏やかに生活できるように、寄り添った関わりをします。ご相談、ご連絡ください。098(857)7766。





  

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2011年11月16日

風の便り vol.35 (11/12発行)

仲間を助けたい 沖縄漁業関係者の支援 
沖縄から東北へ。東北から沖縄へ。海のゆいまーる
 宮城県気仙沼漁港や岩手県大船渡港など、世界三大漁場のひとつ「三陸沖」を望む東北太平洋沿岸の漁港は津波で甚大な被害を受けた。現在でも船はもちろん、漁具や冷蔵施設の不足が深刻だ。数人で1隻を使うなど、厳しい状況が続いている。
 沖縄では、漁業被災地の船不足に対し船を送ろうという「海人プロジェクト」や、被災し避難してきた漁師を積極的に雇用しようという動きが見られた。前号に続き、沖縄になくてはならないサカナにまつわる話から、「同じ海で働く仲間たちを助けたい」という沖縄漁業関係者の支援をまとめた。

うるま市の漁師たち「漁船送ります!」…海人プロジェクト
 「海人プロジェクト」は、うるま市でモズク生産を行う海屋(かいや)を中心に有志の海人(漁師)たちが「東北地方の水産業復興のチカラになりたい」と始めた。新屋宗雅・海屋社長は、使っていない船などを送る支援を始めた。知り合いの漁師に声をかけたり新聞で呼びかけたところ、「他人事ではない」と県内各地の漁師たちが賛同。使っていない小型漁船や漁具などが無償で提供された。
 上原勝専務とつながりのある知人を介して宮古市産業振興水産課と調整、同市閉伊川(へいがわ)漁業協同組合などに提供することが決まった。8月、沖縄から8隻の船が被災地に運ばれた。フェリーとトラックを乗り継いで自ら運んだ新屋さんと上原さんは、被災地の港を前に愕然とした。津波で破壊さ
れた港。海底には沈んだままの壊れた船やガレキの山。この状態では釣ってきた魚の保存もセリもままならない、放射能の影響で魚の値段も下がっている。
ります!」
 「船を持っていくことが正解なのか」。目の前に広がる現実に、新屋さんは自分の無力を感じた。しか
し、閉伊川漁師たちの「ここの海で生きていく」という強い思いに触れ、「同じ海人だからこそ痛いほど感じた」。改めて方法を考えながら支援を続けていくことを誓った。
 沖縄に戻った後、仲間たちと今後の方針について話し合いを重ねている。漁船や漁具はそのまま送るのがよいのか、販売して得たお金を寄付し、船などの購入資金にあててもらうほうがいいのか。「東北の仲間に、沖縄の海人からも手を貸していきたい」。今後も第2 弾、第3 弾と続けていく。
 新たな支援用の船も集まってきている。同プロジェクトでは船の修理や輸送に必要な支援金なども
随時募っている。「海屋」098(878)0503。

石巻のベテラン漁師 沖縄の海で再出発…県内水産企業に就職
 県産魚の養殖と県内外・海外向け水産物卸などを行う久米水産(本社・那覇市)は、宮城県石巻市出
身の斉藤俊博さんら2 人の被災地出身漁師を5月から雇用している。同社は、うるま市宮城島にある養殖場でミーバイ(ヤイトハタ)やリュウキュウスギなどの養殖、出荷を行う。斉藤さんらは厳しい沖縄
の日差しと闘いながら餌やりや水揚げ、出荷作業に汗を流している。
 斉藤さんは、石巻市で漁のかたわら海産物食堂を営んでいた。震災当日、食材調達の漁のさなか津波にあった。大波のなか何度も水をかぶり、生きるために必死で船を動かし続けた。その後、近くの船に助けられ生還を果たした。自宅は半壊、放射能の不安もあり知人を頼って来県した。
 仕事はなかった。沖縄タイムスが、4月24 日付朝刊にその苦悩を載せた。死と隣り合わせだったにも関わらず「漁で生きてきた。海しかない」と訴えた記事が、久米誠一社長の目に留まった。大津波を生き延びた運の強さ、再起を願う海人としての心意気に久米社長は興味を持った。
 同社の新垣宗敏さんは「雇用を決めたのは支援ではなく、偶然だった」と話す。ちょうど従業員を捜していた時で、「うちで働いてもらえたら」と考えた。県庁や県内の支援団体などをあたり、斉藤さんを探した。声をかけることができ、入社が決まった。
 新垣さんは「雇用した当初は支援の思いもあったが、その仕事ぶりは今や会社にとっても無くてはな
らない」という。漁師歴40 年の斉藤さんが海で培った勘は、養殖業をはじめたばかりの同社にとって頼
もしい。
 7月、久米水産の養殖場には、慣れた手つきでいけすの点検を行う斉藤さんの姿があった。いけすの
上で、真っ黒に日焼けした顔で笑っていた。

震災247日 被災地から(22)
岩手・大槌 小鎚第5仮設住宅 住民

もう冬。雪が1m越えると、屋根が落ちる。

 8月上旬に城山公園体育館避難所からこの仮設住宅に移ったころは、健康状態はあまりよくなかった。震災のあった3月11日以降、避難所生活が始まった時も良くなかったが、だんだんと良くなっていった。いま、仮設住宅でそれぞれの世帯に戻って生活をするうちに、落ち着く感じはするようになった。ただ、うちのように夫婦で入っていればいいが、お年寄りには仮設に1人で入居している人も多い。そういう方の中には、少しうつ気味になられている方もおられ、気になっている。生活支援員さんは回って来てくださるけど。
 避難所はそれぞれの仕切りもほとんどなく、プライバシーも何もなかったところではあったが、暮らしている者同士が声をかけようという気持ちがあった。今、仮設住宅で個室に入った状況では、昼間はいいが、一人暮らしの方にとって夜は孤独だと思う。仮設住宅の夜は、非常に静かだ。照明を付けたまま寝る人、テレビを付けたまま寝る人は結構いらっしゃる。うちは妻と一緒におり、元気に暮らすことができているからいいものの。
 震災前は、商売をしていた。ポットやジャーのほか、スリッパなど生活雑貨も扱っていた。このたび仮設住宅の中心部に仮設の店舗が10軒でき、そのうちの1軒に入ることができる。今月半ばあたりにオープンできそう。仮設住宅では入居時にどの家も家電はもとより生活用品も同じようなものが入っていたため、「ああしたい、こうしたい」という希望が出ている。元の市街地からは車で10-15分。やはり買い物や通院に不便だという声がかなり出ている。そういった要望に応えることができればと思う。
 これから冬がやってくる。大槌町は、雪はそれほど降らない地域だが、それでも年に2回くらいは30~40センチ積もる。仮設住宅は山にあり、積雪も多い。溶けないで積もってしまうと大変だろう。高齢者が多く、雪かきなどはかなり大変になりそうだ。そういえば仮設に入った時、注意事項に「屋根の雪が1メートルを越えたら危険。屋根が落ちる可能性がある」と書かれていた。


Information
「よりそいボランティア」来週から金曜だけになります
 私たち情報支援ボランティア沖縄が、本紙の発行と並行して火・金・土の週3回、那覇市協働大使活動支援センターで開設してきた相談窓口「よりそい・情報支援ボランティア沖縄(よりそいボランティア)」を、来週から週1回、金曜だけに変更します。利用者の減少やニーズの変化に対応して、新しい支援へ移行していくためです。今後も、沖縄に被災避難してきた方、復興支援ボランティアを考えている方などお困り方の相談に耳を傾けたいと思っています。気軽に訪問、問い合わせください。お待ちしています。
=よりそい・情報支援ボランティア沖縄(11月14日以降)=
[日時]毎週金曜日の19時から21時まで
[場所]那覇市協働大使活動支援センター (那覇市牧志3-2-43 長田ビル3階)
[お問い合わせ] 080-2696-4044  kajitayori@gmail.com



東日本大震災被災地復興 最前線から学ぶ
 被災地地元大学の医療チームの復興活動において、現場リーダーであり学生も現地入りさせて現場指導と教育指導をおこなう講師を招いて講演。
講師:
富澤 弥生(とみざわ やよい)看護師、医学博士/東北福祉大学 健康科学部 保健看護学科 講師
佐藤 啓壮(さとう けいぞう) 人間科学修士/東北福祉大学 健康科学部 リハビリテーション学科 講師
コーディネーター:
荒川雅志(あらかわ まさし)/琉球大学大学院観光科学研究科[日時]2011年11月14日(月)16:30~17:50
[場所]琉球大学法文学部新棟114教室(西原町千原1) *参加無料!!
[主催]東北・沖縄震災復興ネットワーク講演会 実行委員会
[共催]東北福祉大学プロジェクト「名取市仮設住宅における医療ボランティア活動計画」、琉球大学大学院観光科学研究科、ソムノクエスト株式会社


コラム「災害の備え 被災地支援と並行して」比嘉弓絵/風の便り編集部
 8日午前11時59分頃、沖縄本島北西沖でM6・8の地震があり、最大震度4の揺れを観測した。会社の6階で仕事をしていた私は突如訪れた揺れに何もできず、ただただ立ち尽くしていた。頭は一瞬にして真っ白。「まさか自分の身に降りかかるとは」。地震や防災を学んでもなお当事者意識が薄かった自分に直面し、備えを持たない己の無力さに愕然とした。
 昨年2月にも震度5弱を観測する大きな揺れがあったばかり。「沖縄に地震はない」はすでに安全神話だ。3月の震災で津波の恐怖を見せつけられた今、海に囲まれた沖縄も他人事ではない。被災地支援と並行して、自分を含めた意識改革や地域防災にも努めなければならない。改めて気付かされた。



 
  

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2011年11月09日

風の便り vol.34 (11/5発行)

亜熱帯 沖縄ならではの海の幸を食べよう
~マチグヮーの魚屋さんオススメの魚 ウチナー風 魚料理~
 被災避難されている皆さん、沖縄の海の幸はもう食べましたか。亜熱帯気候に属する沖縄では、本土ではみかけない色鮮やかな魚がたくさん獲れます。なんといっても魚は鮮度が一番!近くの海で獲れた沖縄ならではの魚を思いっきり楽しみましょう。第一牧志公設市場の魚屋さんオススメの魚たちと、沖縄での代表的な料理法を紹介します。

マース煮
マース=沖縄方言「塩」。昔、海水を用いていた調理法が残ったとも
【材料】
魚1尾、塩(適量)、水(適量)、ネギ(お好みで)
【レシピ】
①魚のウロコと内臓をきれいに取り除く。
②フライパンに魚を入れた時に魚が浸るくらいの水を入れ、適量の塩と酒を加えて、煮立たせる。
③ ②に魚を入れ、両面の身が白っぽくなるまで煮る。
④灰汁が出てきたら取り除く。
⑤味見し、味が整っていたら、お好みでネギなど添える。
ポイント!!
煮崩れしないように、煮立たせたら中火にする。
「マース煮」に合う魚
エーガー(アイゴ)
ミミジャー(ヒシフエダイ)
マクブ(シロクラベラ)など

バター焼き
アメリカ文化の流入で洋食が沖縄県民に定着し、普及した?
【材料】魚の切り身1、塩・コショウ(適量)、小麦粉(適量)、バター・
レモン(お好みで)
【レシピ】
①魚の切り身の両面に塩、コショウを振り、薄く小麦粉をまぶす。
②フライパンにバターを入れて中火で熱し、盛りつけの時に上になる面を下にして並べる。
③表面に美味しそうな焼き色がつけば、切り身を返す。
④お好みでレモンなどを添えて完成。
ポイント!!
バターを入れた後は焦げつかないように中火にする。
「バター焼き」に合う魚
ヒラグルクン( ウメイロモドキ)
アーガイイラブチャ―[黄]( ヒブダイ)
カタカシ(オジサン)など


あなたはマグロ派? カツオ派?
スーパーで、マチグヮーで 沖縄2大サカナ事情

日本で唯一「天然生マグロ」が食べられる!

 沖縄県はマグロの一大産地。県の漁獲量は全国4位(2008年)で、半数以上をマグロが占める。マグロといってもさまざまな種類があり、沖縄で最も漁獲されるのはビンナガ。色白で小型なので回転寿司や缶詰などの加工用に安く取引され、生であれば大変味がよく、県内ではトンボマグロの名前でよく見かける。
 次に見られるのが日本で一番多く食べられているメバチ。第3位が南方種のキハダ。そして、6月前後にだけ黒潮に乗って沖縄に近づき漁獲されるのが第4位のクロマグロ。マグロ類で最も美味とされ、冷凍されていない生の大物には100gで1万円以上の値段がつくこともある。
 マグロ類に共通するのは、普通冷凍された状態で水揚げされること。マグロの漁場は遠洋であることが多いからだ。しかし沖縄県の場合、漁場がごく近海であるため冷凍は必要なく、本来高値であるはずの生マグロが驚くほどふつうに手に入る。
 沖縄に来て、スーパーに生のクロマグロが並ぶのを初めて見た時は目を疑った。口に入れると、もっちりとした柔らかな食感にクロマグロ本来の力強い旨みとほのかな酸味。あまりのおいしさに卒倒した。沖縄の魚といえばグルクンと皆が言いますが、真の王者は生マグロであると私は主張したい。この海の恵みをいつまでも享受できるようでありたい。(沖縄大学地域研究所特別研究員・新美喬之)

本土と違う濃厚なうまみ。カツオ節で長寿に

 沖縄で見るカツオ節は、県外で流通しているのものと異なる。沖縄のカツオを長年研究している沖縄大学の上田不二夫先生によると、大半が鹿児島産で、鹿児島で本土向けと沖縄向けを分けて製造・出荷するそうだ。沖縄向けは乾燥度が低い「裸節」と呼ばれ、製造期間が短いため価格が安い。水分が残る分ミネラルが多いとされ、魚そのものが持つ新鮮で強いうまみがある。水気が多いため高温多湿な沖縄では傷みやすく、冷凍して使うのがよい。
 うまみが強いうえ大量に使うため、沖縄そばをはじめ汁ものはしっかりした味わいのダシとなる。昆布や豚肉と合わせた複合ダシにすることも多く、沖縄料理の特徴になっている。沖縄のカツオ節消費量がダントツで全国一なのもうなずける。
 沖縄では、風邪をひいた時などにカツオ節にお湯と醤油や味噌を入れる「カチューユ」(カツオ湯)を飲む。琉球王府時代、中国からの使者(冊封使)の滋養強壮や体調管理に使われたのがルーツとか。全国的にカツオ節消費量が多い地域は塩分摂取量が低く、沖縄での消費量の多さが長寿と関係するという説もある。
 カツオは刺身でもよく消費される。ショウガやコーレーク―ス(泡盛漬け唐辛子)を薬味に醤油でいただくのもよし、酢みそであえるのもよし。沖縄では、コーレークースや酢を刺身の薬味にすることが多い。もともとワサビが採れないことや、高温多湿で生ものの傷みが早いことが影響しているかも。(同・稲垣暁)


漁港のそばに、サカナのまち。鮮魚直売所

 県内各地にある漁港のそばには水揚げされたばかりの鮮魚を取り扱う直売所や魚屋が数多くある。スーパーでは売っていない魚も購入できる魚市場を紹介する。下ごしらえや調理法まで丁寧に教えてくれるので気軽に利用して、おいしい沖縄のイマイユ(新鮮な魚)を堪能して!

泊・いゆまち
 泊港で水揚げされた新鮮なマグロなどが購入できるマグロ専門店やモズク専門店が軒を連ねる魚市場。大きなかたまりになったマグロの赤味は、圧巻!隣接する泊魚市
場では、毎朝は仲買人によるセリも行われている。6 ~ 1 8 時。那覇市港1 - 1 、098(868)1096。

糸満・お魚センター
 昔から海人の町として栄えた糸満。現在でも旧正月、旧暦でおこなわれるハーリーなど海との関わりは深い。店頭には「糸満市魚」タマンはもちろんグルクン、ミーバイなどが並び、近海魚はどれも新鮮でリーズナブル。10~19時。糸満市西崎4-19、098(992)2803。

泡瀬漁港・パヤオ直売店

 パヤオ(人工漁礁)漁で釣られたシイラやマグロなど鮮魚を販売。隣接する食堂では港直送の魚を使ったバター焼き、魚汁など人気。マグロが多く水揚げされた日には定食の刺身のおかわり自由のサービスも。10:30~18時(冬期17:30)。沖縄市泡瀬1-11-34、098(938)5811。


震災240日 被災地から(21)

岩手・大槌 小鎚第5仮設住宅 住民

店を失った商店主たち。やっと。

 避難所からこちらの仮設住宅に入って、2~3カ月が経った。この地区の仮設住宅の中心になるところに、そろそろ仮設の店舗が開設できそうだ。仮設住宅では、やはり買い物と医療機関への通院が一番の問題になっている。3月11日の震災前は車を3台持っていた家が、2台が津波で流されてしまって1台あるかないかになっているというのがこのへんの人の実感だ。この仮設住宅は町の中心地から車で10分から15分はかかる場所にある。付近には商店や医療機関はなく、困っている人が多い。
 それで、被災した商売人や八百屋さんたちは、どうにか早く再開しなければと一生懸命動いている。元の町では、半分ぐらいが再開したかな。車を買って、移動販売できるように改造して商品をのせて仮設住宅をまわっている人もいる。町の中心部の被災状況は、釜石は半分ぐらいなのに大槌は95%がやられてしまった。かろうじてやられていない地域の自営業者やスーパーの人が、仮設住宅から少し離れたところで、正式ではないが仮の店舗で生活に最低限必要なものを売る店をぽつぽつ始めている。やっと見え始めたくらいで、まだまだこれからといった感じなのだが。
 町の上手方向にあった大型スーパーが、今年中にオープンするのではないかと言われている。そこでは、個人商店をやっていた人も新たに入って営業できるかもしれないという。国会でも、第3次補正予算で大型店舗の小規模事業者への融資が決まった。そこにひっかかることはできるだろうと、期待をしている。すでに商店では、決まらないうちから大型スーパー内での営業を見込ん
で動いている。
 大槌では、これから今年いっぱい、12月までの間に町の復興の方向性について大筋を決めたいということになっている。社協からも呼びかけがあり、細かい話が出され始めた。復興協議会の係に、私も指名された。避難所のリーダーだった人からも、役割を打診されている。組織の責任をまかされることになり、齢もいっているし商売も再開するので大変だが、がんばっていきたい。

大槌町:三陸海岸中央部にある漁業の町。高さ15mの津波に町全体が壊滅的被害を受ける。人口1.5万人の11%が死亡・行方不明。死亡率の高さは被災自治体で2番目。



Information
東日本大震災からの問いかけ ~生きる、働く、拓く~
 東日本大震災の復興支援に携わっているフォトジャーナリストの安田菜津紀さんと佐藤慧さん、株式会社グローブ代表の松永真樹さんを特別ゲストに講演会とパネルディスカッションを実施。琉球大学附属図書館・多目的ホールでは11月10日(木)から14日 (月) まで写真展も開催。
【日時】 11月10日(木) 14:40~19:30     
*3部構成で実施。1部と2部は基調講演でそれぞれ14:40から、16:20から。3部が18時からパネルディスカッション。
【場所】 琉球大学会館3階
【問い合わせ・予約】 098(895)8249(平日8:30~17時) info@ryudai-career.org


コラム「現地の声を発信し、みんなで考えることで支えに」津嘉山絵美/琉球大学 教育学部 3年
 「忘れないで欲しい」―現地の声で一番印象に残っている言葉です。私はNPOエクスブリッジのインターンプロジェクトで宮城県に行き、現地を自分の目で見ること、復興に向けて前向きに活動する人々と関わることで、遠いと思っていた被災地を身近に感じるようになりました。沖縄に帰ってきて、震災から半年以上経った現在、震災が次第に風化していっているということを身に染みて感じ、やはり「風化させない」ように発信し続け、みんなで考え続ける必要性を感じました。たくさんの人が考え続けることでアイディアが生まれ、それを行動に移すことで被災者の方々の何かしらの支えになればいいなと思いま
す。自己満足の活動にならないように、寄り添いの気持ちを大切に行動していきたいです。



 
  

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2011年10月30日

風の便り vol.33 (10/29発行)

第33号 10月29日発行

避難施設「ゆいま~るの杜」を提供・おきなわサービサー
被災者の受け入れ 陰で支えた6か月
 東北関東大震災で、原発に近い居住地から避難してきた被災者を約6か月間受け入れた「ゆいま~るの杜」(恩納村)。おきなわサービサー、琉球物産、プロミスキーパーズ、つなぐ光の4者が企業とNPO 組織の枠を越えて連携し、運営した。今号は、陰の力に徹して支援を続けた、おきなわサービサー社員一同のさわやかで大きな支援を紹介したい。平良孝夫社長と勝連栄部長、仲栄真(なかえま)盛雄係長に話を伺った。

具体的に何か支援を
 平良社長は、震災から約半年間の支援を振り返り「いろんな方の熱い思いで成り立った6か月だった。社員のみなさんも(社長である自分の)意をくんで動いてくれた」と、従業員に感謝の思
いを述べた。震災翌日、日本赤十字社に寄付を行なったが、それがどういう形の支援になっていくかは漠然として見えなかった。何か具体的な支援ができないか周囲に相談し、2~3年間空き室になっていた恩納村のペンションを避難者向け施設に活用することにした。他社の協力を得ながら、被災避難者の受け入れを進めた。避難施設名は社内公募し、「ゆいま~るの杜」と名づけられた。

施設、資金提供からイベント企画まで
 「ゆいま~るの杜」は、各法人や団体の得意分野を生かし、連携して支援が行なわれた。おきなわサービサーは、所有していた施設を提供し、1000万円の支援金を用意。施設の光熱費や修繕費などを全て負担した。窓口として動いたのが、勝連部長と仲栄真係長。恩納村に4者が毎週1回集まり、支援方針の違いの調整から施設内での課題まで、話し合った。
 施設運営を行なう団体が避難者に無償提供する食事の費用に苦慮していることを知り、給料日に社全体で「ゆいま~る基金」も始めた。寄付はゆいま~るの杜が終了した9月まで行われ、54 人の社員から毎月7、8万が寄せられた。集まった額に同額の資金を会社から加えて、食材費として寄贈した。また、ボランティアが必要になれば、社内で呼びかけた。社内の勉強会グループで施設内でのイベントや沖縄ツアーも企画、実施した。

自分たちの立ち位置を再確認
 同社は日ごろから清掃活動や福祉施設の訪問、エコキャップの収集と、社会貢献の意識が高い。平良社長は「社員の中で何かが変わったというより、自分たち企業の立ち位置を再確認した。支援の土壌、文化は日ごろから育まれていたかも」。施設の花植えボランティアに家族と参加した従業員は「会社の姿勢を家族に誇らしく思った」と話した。活動は人材を育て、社への愛着を深めた。
 ゆいま~るの杜は、9月いっぱいで避難者受け入れの期限が切れた。今回の支援も終了するが、おきなわサービサーは今後もいろいろな団体と協力し、新たな支援に携わっていくつもりだ。

*それぞれの得意を生かした「ゆいま~るの杜」の運営
 ゆいま~るの杜では企業とボランティア組織がそれそれの得意分野を生かし、支援が行われた。施設提供と費用負担を含めたライフライン整備などは主におきなわサービサー、補修工事や行政とのかけ合いは琉球物産、日々の生活支援はプロミスキーパーズ、受入窓口はつなぐ光が担った。


震災233日 被災地から⑳

岩手・大槌 小鎚第5仮設住宅 住民

 8月に城山体育館避難所から仮設住宅に移って2か月。市街地からはけっこう離れたところだ。車で10~15分。こちらのエリアの仮設住宅は10あり、地域の被災者は大槌と小鎚とふり分けられたが、それほど遠くはない。歩いて10分くらい。この仮設住宅は、60世帯が1か所に集まっている。近くに40世帯の仮設住宅があり、計100世帯がひとつのまとまりになっている。避難所で一緒だったメンバーはすべて同じ仮設住宅に入れたわけではないが、同じ方向の仮設住宅に入っている。
 避難所で何百人が一緒にいた状態から各世帯に部屋があてがわれた状態になり、暮らしは180度変わった。一度に移ったのではなく、各世帯が徐々に移ってきた。ようやく隣近所で話をするようになってきた。行政が、仮設住宅の方が1人立ちできるようにとアイディアをもってきてくれている。町では、これから前を向いて歩いていこうとしている。何をどうしたらよいか考えながら、少しずつだがいろいろな組織が始まっている。
 住民が仮設住宅に移り始めたころ、避難所に来てくれた沖縄大学の学生さんからかりゆしウエアが届いた。避難所のリーダーが1枚ずつ持ってきてくれた。サンマを送るので、学生さんたちで
食べてもらえたら嬉しい。

大槌町:三陸海岸中央部にある漁業の町。高さ15mの津波に町全体が壊滅的被害を受ける。人口1.5万人の11%が死亡・行方不明。死亡率の高さは被災自治体で2番目。



被災地で 県内で 自分たちの力で継続支援を
6団体が報告・討論「大事なことはベストを尽くすこと」
 「ゆいまーるロード from 那覇~支え合う命・今私たちにできること~」(那覇市公民館主催)が23日、牧志駅前ほしぞら公民館で行なわれ、復興支援を続ける6団体が活動報告や討論を行なった。被災地や県内でのさまざまな支援活動や思いに触れ、参加者が「今できること」を考えるきっかけを作ることが目的。会場では、メッセージ付きスナップ写真を撮影し被災地に送る「UNITE! NIPPON」や岩手県宮古市の福祉作業場が作った商品の販売などが行われた。

「100人のボランティアがいれば、それだけ多くの知恵と特技が集まる」-基調講演
 第1部では16年前の阪神淡路大震災で自らも被災し、支援に従事した経験を持つ沖縄大学地域研究所の稲垣暁特別研究員が講演した。当時の写真や状況を振り返り、今回の震災の特徴を見ながら課題を指摘。原発問題やボランティア慎重論などで阪神大震災と比較して圧倒的に少ないボランティア数をグラフで示し、「100人の被災者がいれば100通りのニーズが生まれる。100人のボランティアがいれば、それだけ多くの知恵と特技が集まる」とボランティアの必要性など訴えた。

寄り添い・地域で物資集め・慰問・後方支援-活動報告
 第2部の支援団体報告では、沖縄大学生、小禄地区青年連合ゆいまーる隊、那覇太鼓、那覇市社会福祉協議会の4団体が活動を報告した。沖縄大学生は、岩手と福島で避難所や仮設住宅住民に寄り添った。ゆいまーる隊は震災直後から小禄地区が一丸となって募金や物資を集め、企業の協力を得て福島に運び込んだ。那覇太鼓のメンバーは、小学校や老人ホームを慰問。那覇市社協は、福島で災害ボランティアセンターや沖大エイサーサークルの福島ボランティアの後方支援に関わったほか、実現はしなかったが沖縄から被災地にボランティアを希望する一般市民を送ろうと尽力した。

『自分たちで』が大切、できることを継続 助け合える関係づくりを-意見交換会
 第3部の意見交換会は、2部で活動報告した沖縄大学の学生3人(大山和生さん、松田有
加さん、垣花理央さん)、市社協の高野大秋さんに加え、県内で震災を考える講座を開催したNPO法人琉球ニライ大学の張本智恵さん、学生を被災地に派遣するNPOエクスブリッジの秋本康治さんが登壇した。「できる人ができることをやることが大切。『誰かがやってくれる』だけではなく、『自分たちで』という意識が大切」(張本さん)。「他人だと助けようと思いにくい、東北に友達がいたら自然と助けようと思う。助け合える関係を作っていきたい」(秋本さん)。「学生ができることを継続し、沖縄の皆さんにも(被災地の状況を)わかってもらえる活動をしていきたい」(大山さん)と、それぞれの立場で今後の活動の展望を話した。コメンテーターとして参加した稲垣さんは「大事なことは(それぞれが)ベストを尽くすこと。スピード感が大事」と総括した。

*事務局から
 今回、被災地に対する切実な思いを具体的なアクションに換えた稲垣先生や沖縄大学の
学生たちをはじめ各支援団体をフォーラムに招き、実体験に基づく貴重なお話を聞く機会を設け、大切な事を学びました。私達にできる支援と沖縄の「ゆいまーる精神」を那覇から東北へ届けるきっかけに
なったと感じています。(棚原美奈子/那覇市中央公民館)


Information
震災遺児らに支援を ~29・30日、那覇と北谷で あしなが学生募金~
 あしなが育英会では、親を失い経済的にも精神的にも困難を抱えた家庭の子どもの学費支援やメンタルケアを行ってきた。その奨学金制度を利用して大学や専門学校に通う遺児学生のメンバーたちが年2回、「あしなが学生募金」の活動を行う。今回の震災で、同会に特別一時金の支援を求めてきた数は1447人にのぼり、阪神淡路大震災時(573人)の3倍にものぼる(6月24日現在)。母子家庭となった場合の年収は一般世帯の35%、高卒で就職を希望する子の半数が「生活苦」のため進学を断念している(同会ホームページ)。被災地の未来を、日本の未来を担う子どもたちへの支援として、あしなが学生募金に気持ちを投じてみて。
【日時】10月29日(土)・30日(日) 午前10時から午後6時まで
【場所】(那覇)パレットくもじ前 (北谷)ジャスコ北谷店前


コラム「県内でも巨大地震の可能性 どう備えるのか」相馬直子/風の便り編集部・ライター
 先日、あるイベントに地震体験車が設置されていた。人工的に震度7の揺れを体感できるこの装置に、連日長蛇の列が出来た。「怖かった」と、何人もが初めて体感するその大きな揺れに恐怖を口にしていた。一方で、遊園地の乗り物のようにはしゃぐ子どもたちの姿もあった。地震の恐ろしさをイメージをすることが難しいのかもしれないが、その揺れは多くの人の命を奪い、今でも苦しむ人を生み出した。災害は対岸の火事ではない。琉大の木村政昭名誉教授(海洋地質学)によると、沖縄にも大きな地震が来る可能性は極めて高いとのこと。危機的な意識がまだまだ足りない県内。一人ひとりがどのようにして防災意識や自助力を高めるのか。また、行政がどのように整備するのか。課題は多い。私たちがどのように備えていくのか、真剣に考える時ではないだろうか。





  

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2011年10月26日

風の便り vol.32 (10/22発行)

第32号 10月22日発行

声かけと太鼓で つながりづくり
耳と目と心で聴いた被災地 沖縄で伝えたい
沖大エイサー「新風」 福島での活動を報告
 9月24~28日に福島県いわき市を訪問し、3つの仮設住宅など5か所で演舞と「よりそい」活動を行った沖縄大学エイサーサークル「新風」。10月15日に沖縄大学の地域共創学講義「地域活性化システム論」で教壇に立ち、報告・学習会を行った。「新風」メンバー12人は、那覇市社会福祉協議会と沖大地域研究所で事前学習をした後、いわき市を訪れた。初めての被災地。避難所から移って間もない、高齢者が多い仮設住宅でがんばる人たちに精いっぱい耳を傾けた。大山和生君を中心に幸地璃己君、伊良部秀光君の3人による報告をまとめた。

■1軒1軒呼びかけて行くと、気軽に出てきてくれた
 最初、とても緊張した。高齢者向けデイサービスでは、20人の利用者さんにパーランクを一緒に叩いてもらった。仮設住宅は場所によって状況が異なり、他県の人が来ることに抵抗感があると感じた場所もあった。人が集まらない所もあり、どうしようと思った。「来てください」と声を上げてもシーンとしている。1軒1軒に声をかけていくと、気軽に「あとで行きまーす」と言ってくれた。チラシで予告してくださったところ、相談員さんが各家庭に伝えてくれていた所も。自分たちの言葉でどれだけ外に出ていただけるかが、今後の課題だと思う。

■被災した方は「伝えたい」。自分たちも伝えなければ
 メンバーで「どういうボランティアができるのか」を考え、「人の話を聞く」ことをテーマにした。だが、どう話を聞いたらいいのかわからず、沖大地域研究所(よりそい・情報支援ボランティア沖縄)で「聞く」と「聴く」の違いについて学んだ。「聴く」=「耳+目・心」という「傾聴」を教わった。傾聴したことでたくさんの話を聴くことができ、将来の自信になった。話を伺っている時、「聞いてはいけないこと」のボーダーラインがわからなかった。普段の生活の話から入ると、住民のみなさんも生活の話をしてくれることがわかってきた。地元の「じゃんがら念仏踊り」など逆にいろいろ教えてもらい、とても近い存在に感じた。孫や娘が流されたという話もしていただいた。みなさんからは、「伝えたい」という姿勢が伝わってきた。自
分たちも、沖縄に帰ってしっかり伝えなければと思った。

■ひとり暮らしの高齢者「人と話すのは何か月ぶり」
 仮設住宅には、コミュニティの元となる場所やコミュニティそのものが少ないと感じる。ひとりで住んでいる人が多かった。閉じこもって、孤独死につながるという話も聞いた。
 おじいさんやおばあさんには、エイサーを見て泣いて喜んでくれた人もおられた。こんなに心を動かしてくれるんだと思った。最初は家から少し顔を出しただけの人が、太鼓の音が聞こえてきたら「エイサーやってるんだ」と出てきてくれる。ひとり暮らしのおばあちゃんが「何か月ぶりかで人と話した」と言った。少しでも力になれたかなと思う。

■来年も来て信頼を築き、男性住民を踊りの輪に
 明るい人が多い半面、心を閉ざしている人も。写真を撮ろうと言ったら、引っこんでしまわれた。どうしていいのかわからなくなった。男性の参加が特に難しいと聞いた。来年、再来年も続けることで、沖縄の学生が行くことで、男性との信頼関係を作る必要があると思った。
 困ったこともあったがこれからの活動につながることは多かった。被災地がとても身近になり、伝えて行こうと思う。人数を増やして、来年、再来年も続けたい。沖縄でも自分たちの活動を伝えていきたい。来年は福島を拠点に宮城などにも活動を広げられたら。


震災226日 被災地から⑲
宮城・名取 ボランティアコーディネーター
 前回に続き、名取市と石巻市の仮設住宅での活動から。
 仮設住宅の住民、特にひとり暮らし高齢者の見守り活動は、模索しながらも徐々に行われつつある。当初、ボランティアによる個別訪問による支援を提案したところ、名取も石巻も「個別訪問は、地元で同じ人がすっと関わっていく方式でやりたい」ということだった。9月12日から、社会福祉協議会の生活改善員が集会所ごとに配置された。コーディネーターも置かれ始めている。これから本格的に個別訪問活動として行われるようだ。
 行事のとき、家から出てきてくれる人はいつも同じ人になってしまう。家にこもっている人にどう出てきてもらうかが課題だ。名取市の箱塚屋敷仮設住宅では、イベントに出て来てくれるのは半分くらい。そこで自治会と話し合って、みんなで腰かけて話せる共同ベンチを作ろうということになった。また、箱塚屋敷仮設住宅では、175世帯のうち表札を掲げているのは70世帯ほどなので、表札も作ろうということになった。住民に参加を呼びかけたり、通りがかりの人を巻き込みながら作っている。
 仮設住宅での問題として、孤独死や孤立感、絶望感からくる自殺がある。特に夜間の見守りが手薄になる。幸い、箱塚屋敷仮設住宅では問題は聞いていない。石巻市の南境団地仮設住宅でもまだないようだ。名取では、希望者にブザーが配置されている。敷地の一角にベルが設置され、押すと大音量が鳴る仕組みだ。かなり安心につながっている。以前、いつ高熱が出るかわからないという人が仮設住宅で死にかけて、近所の人が救急車を呼んで助かったことがあった。
 また、個人情報に関する問題もある。学生ボランティア活動では今のところ、個人情報を使って活動することはほとんどない。「○○棟○○番の○○さんが腰掛けを欲しがっている」というニーズを聞く程度だ。そういった情報も私が一元管理することで、住民が不安にならないようにしている。今後、一軒一軒にニーズ調査をするような場合は、考えなければならない。
 学生たちは、「まだいてくれるんだ」「もう3回も来てくれたね」と喜んでもらったりして、継続して活動をする必要性を強く感じている。また、仮設住宅にとって「集会場」が非常に大切な場所であると感じており、いかに魅力的な場所を住民と作って行くか模索している。学生ボランティアの中には阪神淡路大震災で仮設住宅後の住居として建てられた復興住宅に住む学生もおり、「15年たって新たな課題が出ている。長い目で支援を考えていきたい」と話している。

名取市:仙台市の南隣、仙台空港がある自治体。閖上地区を中心に市町村面積100平方kmのうち27平方kmが津波の浸水を受け、甚大な被害が出た。死者・行方不明985人。



被災地の自立へ 地域団体に活動移行
沖縄からもボランティア受け入れ 日本国際飢餓対策機構
 私たち「よりそい・情報支援ボランティア沖縄」の宮城県での連携拠点として、沖縄からのボランティア希望者を受け入れてきた日本国際飢餓対策機構(JIFH)東北事務所(仙台市青葉区)が、被災地の自立を踏まえ11月から地域の団体に活動主体を移すことになった。
 JIFHは、震災発生後いち早く被災地に拠点を設け、自宅再建や物資提供など支援を続けてきた。11月から運営主体を地域に移し、活動を支える形に規模を縮小させる。生活に必要な物資を配布している物資倉庫(同若林区)の管理も地域の団体が引き継ぐ。「復興のためには、同じ市民が助け合っていくことが欠かせない」というJIFH主事、田村治郎さんに聞いた。(聞き手:相馬)

被災者を孤立させないために
 被災地では「心の支援」が重要な課題になっている。阪神淡路大震災では、住み慣れた地域から離れ仮設住宅や一般賃貸住宅に移ったことで孤立したり、寂しい生活や将来を悲観しての自殺や孤独死が起こった。JIFHは「阪神」の教訓に学び、「置き薬プロジェクト」を始めた。企業から提供された置き薬や生活必需品などを仮設住宅で配布。薬の補充などの声かけで配布先を定期的に訪問し、声をかけ続け孤立から守ろうという考えだ。
 仮設住宅では、カフェやコンサートなどコミュニティづくりのイベントを行っても、気力を無くしていて参加できない人がいる。連れ出すことは難しいが、状況に合わせて対応し、声をかけ続けることが重要だ。JIFHが支援した地域では、ボランティアによる継続した声かけで心の回復につながったケースもある。「仮設住宅では、両隣の人を思いやる余裕すらない人も多い。ボランティアが関わることで、孤立させないように続けていきたい」。

地域や他の団体との協力があったからこそ
 半年の活動は「地域や他の団体との協力があったからこそ、成り立った」。民生委員さんや社会福祉協議会と連携し、それぞれが得意分野を生かしながら協力して支援にあたった。「現地のネットワークや団体の連携から外れたら、活動はできない。一方で、地域で受け入れられたのは、世界中から集まったボランティアが誠実に働いてくれたから」。今後2年間は仙台事務所が中心となり、他団体と連携しながら物資支援と心のケアを継続する。「100%は難しくても、出来る限りの支援を続ける」。被災地の最前線で活動してきたNGOも、次のステップを迎えようとしている。

Information 
沖縄芸能アトラクション「綾庭の宴」へのご招待
 沖縄を代表するミュージシャン、舞踊家、コメディアン等が集結し、創りあげる総合エンターテイメントショー「綾庭の宴」。琉球王朝時代~薩摩侵攻~沖縄戦~現代までを、琉球舞踊やエイサー、音楽やパフォーマンスで展開します。
*ニライカナイカード利用で先着50名様を無料招待!電話予約の上、カード記載番号をお知らせください。連絡先:098(932)1949
【日程】平成23年10月24日(月)18時半開場(19時開演)
【会場】 沖縄市コザ・ミュージックタウン3階 沖縄市上地1-1-1(右図参照)
【問合せ】ミュージックタウン音市場 098(932)1949 綾庭の宴実行委員会 098(995)7865

コラム「現地で見聞きしたことを伝え、考えていくキッカケづくりを」米田恵子/沖縄国際大学 総合文化学部3年次
 私は、8月28日から9月5日の8泊9日でNPOエクスブリッジの企画した東北復興支援インターンシッププロジェクトで宮城県に行き、現地を生で見て、現地の人の声を生で聞くことができました。その体験から、宮城県=被災地という自分のイメージが吹っ飛びました。津波によって本当に多くのものを失った現実を目の当たりにしながらも、前に進むという気持ちが宮城県には溢(あふ)れていることを知りました。しかし、やはりこの3・11の影響でたくさんの問題が起きているということも知りました。私たちは今回知ったことを伝えていき、みんなで考えていくキッカケを作りたいと思っています。そして、その問題を抱えている被災地の方や、沖縄に来ている被災者の方に、私たちができることで応援させてほしいと思っています。





  

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2011年10月20日

23日に牧志ほしぞら公民館で支援フォーラム

facebookから転載
http://www.facebook.com/event.php?eid=170088856406738

ゆいまーるロード from 那覇 
〜支えあう命・今 私たちにできること〜

2011年3月11日に発生した「東日本大震災」による未曾有の被害に対して、遠く離れた沖縄でも様々な個人・団体・機関が復興への支援を行っています。
那覇市の公民館では、沖縄のゆいまーる精神で具体的にアクションを起こしている方々をお招きし、被災地の状況や彼らの活動報告をしてもらうと同時に、お互いの思いを話し合うことを通して、それぞれが「今 わたしたちにできること」はなんなのか、行動を起こすにはどうすればいいかを考えるフォーラムを開催します。

【日時】平成23年10月23日(日)13時〜17時
【場所】牧志駅前ほしぞら公民館(さいおんスクエア3階)
【問合せ】那覇市中央公民館 TEL:891-3442
 ※入場無料
 ※直接会場へお越し下さい。


《フォーラム》
【第1部】基調講演(14:00-14:45)
     稲垣 暁 (沖縄大学地域研究所)
【第2部】活動報告(14:50-15:50)
     沖縄大学学生(岩手/福島で活動したメンバー)
     小禄地区青年連合ゆいまーる隊
     那覇太鼓
     那覇市社会福祉協議会
【第3部】パネルディスカッション(15:55-16:50)
     テーマ:「支えあう命・今私たちにできること」
     コメンテーター : 稲垣 暁
     ファシリテーター: 宮道喜一(まちなか研究所わくわく)
     沖縄大学学生(岩手/福島で活動したメンバー)
     那覇市社会福祉協議会
     琉球ニライ大学
     NPO法人エクスブリッジ
     ※第3部では、来場者も含めたディスカッションを行います。

《展示》
被災地の状況や復興に向けての取り組み活動報告を写真、映像、パネルで展示します。

■アートNPOエイド
 3階ロビーにてアーティストやアートNPOの「表現の回復」に向けた取り組みを支援する「アートNPOエイド」による写真展示および記録映像上映を行います。
 http://anpoap.org/

■UNITE!NIPPON 〜つながろう!ニッポン〜
 東京在住のカメラマンbozzoさんの手がけるプロジェト「UNITE! NIPPON」で、これまで撮影した写真(約500点)を展示します。
 http://blog.goo.ne.jp/bozzo173/c/c4f9f8c8e5ade0bd29e259c0b7d4faf2

※「アートNPOエイド」「UNITE!NIPPON」の展示は10/20から行います。

《チャリティバザー》
被災地・者支援のためのチャリティーバザーを開催。収益は、被災地支援の活動を行う団体に寄付します。

■NPO法人HIV人権ネットワーク沖縄
 (リストバンド、マグネット、置き物など物販販売)
 http://www.hiv-net.com/

■あたいぐゎープロジェクト
 (家庭菜園でとれた野菜、苗木など)
 http://naha-kouminkan.city.naha.okinawa.jp/han-kou/ataiguwa.html

■NPO法人なはまちづくりネット
 (岩手県宮古市の福祉作業所や商店街、高校ラグビー部より取り寄せた物販販売と喫茶:主に、コーヒー豆、Tシャツ、防災対策DVDなど)
 http://nahamatidukuri.ti-da.net/

※まだまだ出店者募集中です!
 関心のある方はお気軽にお 問い合わせください。

【問合せ先】
 繁多川公民館/南
 メール:namane1742@yahoo.co.jp
 電話:098-891-3448

《プロジェクト》
■「UNITE! NIPPON(つながろう!ニッポン)」
東京在住のカメラマン bozzoさんの手がけるプロジェクト「UNITE! NIPPON」の撮影を会場で行います。
会場にきた一人ひとりが、それぞれのやるべきことを宣言し、その思いがつながることを目的としています。
ゆいまーるロード from 那覇 〜支えあう命・今 私たちにできること〜

■美ら島シンカ「ムムヌチハンター」
那覇市のローカルヒーロー「ムムヌチハンター」は、様々なイベントにおいて義援金を募るショーを行っています。今回もフォーラム開始前の13:45からホールにてショー行います。



※ブログも立ち上げました。
 最新情報はブログでご確認ください。
 http://nahakouminkan.ti-da.net/

  

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2011年10月20日

風の便り vol.31 (10/15発行)

第31号 10月15日発行

いつか、本当の「トモダチ」に
シリーズ・沖縄を知る 「米軍基地」編

 小さな沖縄に広がる広大な米軍基地。深夜も頭上を行き交う米軍機。被災避難してきた皆さんは、どうお感じでしょうか。震災が発生し、危険をかえりみず被災地に赴き「友達作戦(operation tomodachi)」と称して支援活動に従事した在日米軍。彼らの活躍に、日本人として感謝せずにはいられません。しかし、彼らは本当に「トモダチ」でしょうか。
 沖縄は、在日米軍基地が凝縮されています。沖縄で暮らすにあたり、米軍基地問題への知識と理解は欠かせません。沖縄の未来と平和について、沖縄に来られた皆さんとともに考えていけるよう、在沖米軍基地問題の概要をまとめました。

■在沖米軍基地 ―総面積の4分の3、人口の半数
 沖縄県は国土面積の0,6%、全人口の約1%しかない。しかし、日本に駐留する在日米軍専用施設の74,4%が集中している。外務省・防衛省が公表している「在日米軍の施設・区域内外居住」によると、平成22年3月31日現在、日本に配備されている米軍の軍人・軍属・家族の総数は105,559人
で、うち沖縄は49,761人。面積にして4分の3、人口にして約半分の在日米軍を沖縄が抱えている。本土から見ると、基地の恩恵は大きいかもしれない。でも沖縄から眺めると、被害の方がはるかに大きく見える・・・

■さまざまな弊害―健康・生活被害、環境破壊、犯罪…
 過重な負担は、県民全体に甚大な影響を与えている。県が作成した「沖縄県基地の現状」と沖縄県警察本部の統計を参考にすると、以下のような場面で米軍基地の弊害を見ることができる。
①都市形成や交通体系の整備、産業基盤の整備などでの問題
②航空機騒音による周辺住民の健康への悪影響
③米軍機の墜落事故また油脂類・赤土等の流出、実弾演習による山林火災
など県民生活・環境の破壊
④基地周辺の学校では、授業が度々中断されるなど教育への弊害
⑤沖縄県警察本部の統計によると、米軍人等による刑法犯罪は1972年の日本復帰から2007年12月末までに5,514件にのぼり、うち凶悪犯罪は552件、粗暴犯が1,008件発生。文字通り住民の生命を危険にさらしている。「沖縄の戦後は終わっていない」「沖縄は未だ占領下」。そう考えている県民は、少なからずいます。「日本政府や米国は県民を守らず、ろくに約束も守らない」とまで言う人がいるのは、沖縄が歩んできた歴史から見て無理からぬことかもしれません。一方で、日本政府による経済政策などから、在沖米軍基地の存在に肯定的な考えを持つ人がいる現状もあります。県民の間に複雑な感情をもたらしている米国が本当の「トモダチ」になる日は、やってくるのでしょうか。

■米軍人による代表的な事件
1955年、石川市の少女(6)が暴行、殺害される
1959年、石川市の宮森小学校に米軍機墜落。死者17人、重軽傷210人
1963年、那覇市で下校中の男子中学生(12)が信号無視の米兵(20)
の車にはねられ死亡
1995年、本島北部で買い物帰りの女子小学生を米兵3人が暴行。
その後現在の普天間移設問題などに発展した
2004 年、米軍大型輸送ヘリが沖縄国際大学に墜落、炎上

考・沖縄 終わらない戦後~守られる米軍、守られない沖縄
 米軍に関する事件や犯罪の問題点をまとめると、次のようになる。
①日米地位協定…ほとんどの場合は犯罪をおかした米兵が米軍側で裁かれる「裁判権」の問題と、経済的に裕福でないことが多い米兵個人の責任に委ねられて支払われないことが多い「損害賠償」の問題がある。
②米軍内独自の軍法裁判…軍隊においては独自の司法制度がとられており、軍内の裁判である「軍法会議」では裁判官をはじめ、調査官、弁護士、陪審員すべて軍人。性犯罪よりも上官への不服従など軍人としての規律違反が重く受け取られることもあり、また帰還兵にたいして刑を甘くし、また戦意を喪失させないように減刑することも少なからず行われているとされている。
③犯罪リスクが高い「海兵隊」…沖縄の米兵の多数を占める「海兵隊」は、半年から1年のローテーションで初年兵が多く、ハードな訓練を繰り返すのでよく事故を起こすといわれている。
④在日米軍に限らず、軍隊そのもので暴力行為が日常化していること…軍隊という観点からみれば、犯罪は別段に珍しいことでもない。沖縄戦でも日本兵が地元住民に対して略奪・暴行・殺人などを行っているし、朝鮮戦争においても同様のことが行われている。
 沖縄で生活している以上は米軍と友好的でありたいが、こうしてみると親しみを持てる隣人とはとうてい考えがたい。米軍が存在することで落とされるお金のために、沖縄は基地を受け入れておくべきなのだろうか。

震災219日 被災地から⑱
宮城・石巻 ボランティアコーディネーター
 神戸から隔週末にバスで来てくれる大学生たちと、仮設住宅の支援活動を行っている。学生は松島を宿泊拠点に1日目は石巻、2日前は名取でそれぞれひとつの仮設住宅の見守りを継続的に行っている。活動は日中10~15時にしている。
 石巻では、10月11日にすべての避難所が閉鎖された。地元紙の河北新報の報道では、9月9日現在で避難者1352人のうち833人が仮設住宅に当選しながら避難所生活を続けていた。通勤や通学に不便な郊外への転居を敬遠したのが主な理由という。郊外の仮設住宅住民向けに格安バスを用意するなど対策が練られているが、10月1日段階では仮設住宅の全戸数7279人に対し入居者は5965人で、避難所の代替施設となる待機所には約70人が入居したようだ。

 名取と石巻の仮設住宅の状況を比べると、非常に対照的だ。学生も私も戸惑うことが多い。しかし、被災地や被災者の多様性を知るうえで大きな経験になっている。名取では、市の健康福祉部の仮設住宅管理室がひんぱんに集会所に足を運び、相談対応を行っている。私たちが活動の中で聞き取ったニーズは、社協が立ち上げた「なとり復興支援センターひより」と市役所の両方に流している。自治会と市、社協、生活支援員の連携ができており、仮設住宅で住民とよくお茶を飲んでいる。ボランティア団体もかなり入っていて、3~4団体が毎週活動を行っている。健康相談や寺子屋、本格的なお茶をたてるお茶会などが開催されている。ボランティアは地元の人が多いようだ。毎日誰かが活動している。地元での支えあいの機運を感じる。

 一方の石巻では、131か所ある仮設住宅で自治会が立ち上がっているのは1か所だけ。元の住居から離れている仮設住宅への入居は、敬遠されている。また、比較的小規模の仮設住宅が多く集会所がない仮設住宅が多い。しかも、私たちが関わっている仮設住宅は、神戸からの学生ボランティアが行かないと集会場のドアは開かない状況だ。住民のみなさんは「あなたたちしか来てくれない。他のところがいろいろ来ているのに」と言う。
 自治会がないため、住民がクレームや相談を持ちかけるところがない。ボランティアの学生が引き受けることになってしまう。それを私が集約して、まとめて市に出している。石巻市では仮設住宅運営室が担当するが、行政はイニシアティブをとれていないのが現状だ。市に「あまり支援の手が入っていないところを紹介してください」とお願いした際、担当の方が申し訳なさそうに紹介してくれたのが印象的だった。

石巻市:世界3大漁場に面する人口16万人の水産都市。44漁港、加工工場200カ所全て被災。定置網、養殖施設ほぼ全壊。死者・行方不明3954人。全壊家屋4万4千棟。


週末の予定はこれで決定!イベント紹介

Information拡大版


■岩手VS沖縄 豆腐バトル(NPO法人なはまちづくりネット)
 皆さんは岩手県が豆腐大国であることをご存知でしょうか?昨年、総務省の統計によると、岩手県の県庁所在地・盛岡市の豆腐購入頻度はなんと全国1位。支出金額、購入数量などいずれも上位3位までに入る実力地域。消費量もさることながらその種類も豊富だ。一方、那覇市も盛岡市を追いかけるように上位ランクイン!食卓に無い日はない!と言われるくらい様々な料理に使われ、沖縄には本土とは異なる「島豆腐」文化が広がっている。消費量も多く、独自の豆腐文化を持つ岩手と沖縄。どちらが「豆腐日本一」なのかをバトル!この世紀の対決の参加し、歴史の承認になってみては。また、岩手の文化にも触れることで、距離的には遠い被災地もきっと身近に感じるはず。それぞれの豆腐のよさを通し、地域を学んでいきたい。

■ゆいまーるロード from 那覇 ~支え合う命・今 私たちにできること~
 3月11日の東日本大震災に対して、遠く離れた沖縄でも様々な個人・団体・機関が復興へ支援を行ってきた。ゆいまーる精神で具体的にアクションを起こしている人たちが那覇市のほしぞら公民館に集まり、被災地の状況や活動を報告する。同時に、お互いの思いを話し合うことを通して、「今 わたしたちにできること」は何か、行動を起こすためにはどうしたらよいかを考えるフォーラムを開催。基調講演やパネルディスカッションの他、展示やバザー、那覇のローカルヒーロー「ムムヌチハンター」のショーも開催する。東京在住のカメラマンbozzoさんが手がけるプロジェクト「UNITE! NIPPON」の撮影も会場で行う。
【日時】10月23日(日)午後1時~5時
【場所】牧志駅前ほしぞら公民館(さいおんスクエア3階)
【問い合わせ】098(891)3442(那覇市中央公民館)
入場無料

■第7回 しあわせコンサート in 与儀公園
 生活困きゅう者支援などを続けるNPO法人プロミスキーパーズが、今年もコンサート、エイサー、屋台などのイベントを開催する。出演者はゴスペルアーティストや民謡、クラウンなど。スペシャルゲストには、魅川憲一郎さんを迎える。また、福島第一原発にほど近い大熊町にあり、避難生活を余儀なくされている福島第一聖書バプテスト教会の佐藤彰牧師の講演なども行われる。焼きそば、かき氷などが全て無料で振る舞われる屋台やチャリティーフリーマーケットなど、内容盛りだくさん。
「風の便り」は、赤い羽根共同募金からの助成を受けています。
【日時】10月23日(日)午後1時~5時
【場所】牧志駅前ほしぞら公民館(さいおんスクエア3階)
【問い合わせ】098(891)3442(那覇市中央公民館)
【日時】10月22日(土)、23日(日)午後4時~8時
【場所】与儀公園(那覇市寄宮1丁目)
【問い合わせ】098(988)4781 (NPO法人プロミスキーパーズ)
入場無料


コラム「ゆいまーるロード from 那覇」宮城潤/那覇市若狭公民館(NPO地域サポートわかさ)
 今年3月11日に発生した「東日本大震災」。テレビやインターネット上で未曾有(みぞう)の被害を目撃し、いてもたってもいられない衝動に駆られた人も多かったと思います。沖縄県内でも、そのような思いから様々な個人・団体・機関がアクションを起こしています。那覇市の公民館では、被災地・者支援の活動を行う方々をお招きして、フォーラムを開催します。被災地の状況や活動報告を通して、「今 私たちにできること」は何なのか、行動を起こすにはどうすればよいのかを考えます。ゆいまーるの心を復興に取り組んでいる多くの人に届けるためにも、みなさまのご来場をお待ちしています。
※フォーラム「ゆいまーるロード from 那覇 ~支えあう命・今 私たちにできること~」は10月23日午後1時~5時。那覇市牧志駅前ほしぞら公民館(さいおんスクエア3階)にて。



 



***** 
「風の便り」は、以下の公的機関などに置いていただいています。
(発行部数が少ないため、設置できる場所が限られています)

那覇市役所
恩納村役場
うるま市役所
沖縄市役所
浦添市役所
豊見城市役所
糸満市役所
南城市役所

沖縄県社会福祉協議会
那覇市社会福祉協議会
うるま市社会福祉協議会
北中城村社会福祉協議会
沖縄市社会福祉協議会
読谷村社会福祉協議会
宜野湾市社会福祉協議会
浦添市社会福祉協議会
八重瀬町社会福祉協議会

東日本大震災支援協力会議事務局
那覇市NPO活動支援センター
那覇市協働大使活動支援センター
FM那覇
FMレキオ
FMよみたん
ジュンク堂書店那覇店


  

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2011年10月13日

風の便り vol.30 (10/8発行)

「風の便り」は、以下の公的機関などに置いていただいています。
(発行部数が少ないため、設置できる場所が限られています)

那覇市役所
恩納村役場
うるま市役所
沖縄市役所
浦添市役所
豊見城市役所
糸満市役所
南城市役所

沖縄県社会福祉協議会
那覇市社会福祉協議会
うるま市社会福祉協議会
沖縄市社会福祉協議会
読谷村社会福祉協議会
宜野湾市社会福祉協議会
浦添市社会福祉協議会
八重瀬町社会福祉協議会

東日本大震災支援協力会議事務局
那覇市NPO活動支援センター
那覇市協働大使活動支援センター
FM那覇
ジュンク堂書店那覇店


第30号  10月8日発行

「来る」受け入れ支援から 「溶け込む」移住支援へ        
… ボランティア・NPO・行政と連携 「つなぐ光」の半年

 「震災直後は海外に逃げることも考えた。テレビで被災地の大変な状況をみて、何もしなければ後悔すると思った」。つなぐ光を1人で担う事務局長の中川角司さんは打ち明ける。震災後に自らの仕事を辞め、つなぐ光の活動に力を注いだ。半年間、県内へ移住を希望する被災者が「沖縄に来るため」の支援と、大人と比べ放射能の影響を受けやすい被災地児童の疎開を進めた。呼びかけに応じた個人ボランティアやプロミスキーパーズをはじめとする県内ボランティア団体や企業、行政と連携し、現在も活動を続けている。中川さん、コカさん夫妻に支援に奔走した半年を振り返っていただいた。

■受け入れ支援―あくまで受け身、個人の事情に配慮を■
 震災発生後、急いでマスコミを通じ受け入れ支援を発表した。問い合わせ先の携帯電話はひっきりなしに鳴り続けた。「でも避難したいと電話をかけてくる人で実際に避難できたのは、50人に1人くらい。現地に残る知人や親戚、故郷への思いなど、現地のしがらみはこちらが思っていた以上に大きかった」。放射能不安を周りに理解してもらえず孤独な状況にいる人、夫を説得できずに断念する人、現地の事情の難しさに衝撃を受けた。支援者として、あくまで受け身で個人の事情に配慮する大切さを学んだ。

■疎開プロジェクト―「イキイキ、のびのびする姿 良かった」■
 中川さんと共に支援活動を続けた妻のコカさん。夏休みに福島県から20名の児童の疎開を受け入れた時をこう振り返った。「空港で子ども達を一目見たとき、すごく元気な様子を見て安心した。もちろん苦しみの抱えていたと思うけど…」。大人が思っていた以上に子ども達はしたたかでたくましく、「沖縄を訪れることができたチャンス!」と楽しんでいるように感じた。「(疎開プロジェクトで)自由に体を動かせた、思いきり遊べたという満足そうな子ども達をみるのがうれしかった。どんどんイキイキして、のびのびする姿は良かった」。
 今後について中川さんは、「今年の成果も踏まえ、毎年20人から30人の児童を疎開させられるプロジェクトを用意したい」。

■課題は活動継続への体制づくり、県民にバトンを渡すための認知活動■
 中川さんは、今後も継続した活動を続けるためには運営体制に課題があると考えている。事務局が1人では、新しい支援に乗り出せない。寄付金額やブログへのアクセス数減少からも、世間の興味が薄れてきていることを実感している。「今後は認知活動をして、もっと活動を知ってもらわなければ。避難者がこれだけ来ていることを知れば、県民も『何か自分にできることを』と動き出すはず。そもそもつなぐ光は沖縄と被災地、県民と被災避難者をつなぐきっかけづくりを目的として生まれた。被災避難者支援に(県民を)どれだけつなぐことができるか、バトンを渡せるかが課題だ」。

■コミュニティ形成拠点の運営と被災者向け雇用枠の確保へ■
 つなぐ光では、沖縄に移住を決めた避難者のコミュニティ形成や地域に溶け込んでいくための支援として、交流拠点の運営と被災避難者向けの就労枠の確保などを行っていく予定だ。
 7月23日から、浦添市役所近くにコーヒーなどを飲みながらゆんたく(雑談)ができるコミュニティスペースを開設した。「小さな子ども向けのプレイスペースがあるゆったりとした空間で、誰かに会える、友達を作れる場として気軽に利用してもらいたい」。
 就労支援に関しては、「ただでさえ少ない県内の仕事の枠を県民と被災避難者が奪い合うのではなく、枠を設けて分け合っていく形を作りたい」。いがみ合うことのない支援方法を模索している。

つなぐ光とは?
…震災支援のため3月18日に設立されたボランティア団体(5月から一般社団法人)。「被災者と県民をつなぎ、支援するきっかけづくり」のため、県民を巻き込みながら活動中。原発から100キロ圏内に居住する妊婦や母子の被災避難者のため、県内ホームステイの調整や移住支援として旅費や初期滞在の費用などを寄付から負担し、支援。9月1日現在、32家族88名を受け入れた。また、高
放射能にさらされた被災地の子ども達の免疫力回復のため、疎開プロジェクトを実施。7月25日から約1カ月間、福島県の20人の子ども達を受け入れた。


震災212日 被災地から⑰
宮城・名取 ボランティアコーディネーター
 宮城県名取市と石巻市で、学生ボランティアによる支援活動のコーディネートを行っている。どちらも同じ仮設住宅で継続的に支援を続けている。学生は土日を利用して月に2回、バスで神戸から来てくれる。
 名取市では避難所が5月末~6月初旬にすべて閉鎖され、避難者は仮設住宅に移った。仮設住宅は8か所ある。すごいのは、自治会が100%立ち上がっていることだ。私たちは自治会長や役員さんと話を進めながら、ボランティア活動を行っている。仮設住宅は6つの部屋が一棟になっている。6つの部屋でリーダーを決めて、そのリーダーが集まって役員会を構成している。
 大きな被害が出た閖上(ゆりあげ)地区から西に5キロほど、東北本線の西側にある住宅地、箱塚地域にある仮設住宅で活動している。箱塚桜団地(仮設住宅団地)は震災後すぐ完成した。ここは地域単位で同じ仮設住宅に入居できたところだ。町内会のしくみがまるごと移った。同じ地区にある箱塚屋敷団地は、自治会ができるのが遅れた。夏になってから立ち上がった。桜団地と違い、いろいろな地区からの住民が入居したことが大きい。
 名取市は、他の地域に比べ行政が一律に支援しやすい環境にあると感じる。仮設住宅は、市役所を中心とした半径約4キロ以内の市街地や近辺に立てられている。市の担当部署である健康福祉部仮設住宅管理室がひんぱんに仮設住宅の集会所に足を運び、相談対応しているようだ。しかも、自治会はとてもフレンドリー。「神戸から来た学生さんが楽しんで帰ってくれているか、心配している」とまで言ってくださる。
 学生による支援活動は、外での活動がメーン。個別訪問による活動は行なっていない。手探りで活動を行っている。最初は、住民のみなさんと一緒に話をすることからスタートした。毎回行っているのは、何か作業や集まりがあればお茶を出すこと。支援は私たちが住民のみなさんに全部プレゼントするのではなく、一緒に行うことを大切にしている。こちらの名菓「ずんだ餅」の作り方を住民のみなさんに教えてもらいながら、一緒に作ったりしている。
 小さな踏み台や腰掛がほしい、という声が多いので、木工作業を活動に取り入れている。通りがかりの人に「ネジ1本打っていきませんか」と声をかけている。学生と一緒にベンチづくりなど行なって、一緒に作業した後にお茶を出す。ベンチはどこに置いたら使ってもらえるかを聞いてまわったうえで、製作した。12台作り、置いてあるところが簡易集会所になっている。

名取市:仙台市の南隣、仙台空港がある自治体。閖上地区を中心に市町村面積100平方kmのうち27平方kmが津波の浸水を受け、甚大な被害が出た。死者・行方不明985人。


「仮設」に響く太鼓 人を呼び心をつなぐ
沖縄大学エイサー部 いわき市で演舞と「よりそい」活動
 9月下旬、沖縄大学エイサー部「新風」のメンバー12人が福島県いわき市の仮設住宅4か所やグループホームを訪れ、演舞による慰問と「よりそい」活動を行なった。那覇市社会福祉協議会といわき市社会福祉協議会の連携で実現した。メンバーは事前に、震災後に福島県で支援に入った那覇市社協職員の話を聞いたり、沖縄大学地域研究所で阪神淡路大震災時の仮設住宅の様子や問題について事前学習を行なったうえで、いわき市に入った。現地では、被災した高齢者の勇気付けになったことが地元新聞に報じられた。今回の活動でマネージャー役としてがんばりながら、現地と沖縄とのパイプづくりに動いた沖縄大学こども文化学科2年、松田有加さんに話を聞いた。(聞き手:沖大地域研究所特別研究員/よりそい・情報支援ボランティア 稲垣暁)

―今の被災地を見て、どう感じた?
 車で福島に入って、最初のうちは普通に家が立っているし、どこが被災地なんだろう?という感じだった。被災地に入っても何もない更地が広がっていて、「ここは何もないのだろうか」と思っていた。よく見ると、家の跡が残っている。津波が来る前の写真を見せてもらい、驚いた。「こんなにお家があったの?」。地元の方の案内で、許可がなければ入れない地域を車で通った。野次馬が来るので、通行許可証がなければ通れないという。

―仮設住宅では、みなさんはどのような表情だった?
 高齢者のお話を聞いてまわった。仮設住宅はみなプレハブで、若い人の姿が見えなかった。ほとんどが高齢者。「仮設住宅で若い人はすぐに出たがる」ということだった。
 津波で家を流された人は、気持ちを切り替えて前向きだった。いわき市の北側にある原発の避難圏内から来られた人は、家が残っているのであきらめきれない感じだった。話しかけたら、どんどん話が出てくる。真剣に聞いていたら、真剣に話してくれる。メンバーには、泣きながら話を伺った者もいる。

―どのような課題を見つけた?
 社協の話では、ひきこもりの人が心配とのことだった。特に男性が心配で、イベントで音を出して引っ張り出せたらという。エイサーの太鼓の音は心に響くし、大きな音なのでどんどん人が集まってきたととても喜んでいただいたようだった。どんどん音を出して、中にいる人を引っ張り出してほしいと言われた。社協のブログにも「音が人を呼び、心をつなぐ」と書いていただいた。
 悲しかったのは、被災地に泥棒が多く入っていると聞いた時。タンスや仏壇に貯めていたお金を持っていかれたという。泥のついた服も盗まれたそう。がんばっている人たちを応援しに来て、とてもショックだった。津波で家が流された人も、原発地域に家が残ったままの人も、とにかく着る物がないといわれていた。

―沖大生が岩手に送っているかりゆしウエアを持っていってくれたね。現地で「沖縄から送りますよ」と声をかけ続けたとか。
 持っていった30着はとても喜ばれ、初日に完配した。沖縄に帰ってからどう送り、交流を続けるか考えながら動いた。仮設住宅は暑いので、秋や冬も部屋着での用途はありそうだ。大きなニー
ズはあるのに、まだ自治会がなく公的機関を通じて配ることは難しいのが現状。仮設住宅のキーパーソンみたいな人と出会ったので、その方と連絡を取り合って送る方法を考えている。住民の方と仲良くなってお酒をもらった部員がいて、お返しというかたちで交流を続けることも考えている。岩手で活動した沖大の学生メンバーと連携しながら、長く支援を続けられたらと思っている。

福島でも喜ばれた「かりゆし」 沖縄から長く交流続けたい



Information 東北の子どもたちを沖縄へ呼ぼう!
「ティーダキッズプロジェクト」賛同者募集中
 「ティーダキッズプロジェクト」は、被災した東北の子どもたちを沖縄に招待して楽しくゆったりと日常生活を過ごしてもらうことを目的とした企画です。今年の夏休みには55人の子ども達を招待しました。今後10年間継続して実施する予定です。
 世界のウチナーンチュ大会期間中に会場付近で募金・寄付の呼びかけを行います。ご賛同いただける方は、ご協力をお願いいたします。
【問い合わせ】tidakids.info@gmail.com (担当・徳森、080-1733-7919)

●世界のウチナーンチュ大会で募金活動!!
10月13日(水)開会式・16日(日)閉会式前後1時間ほど、および13日~16日のワールドバザール(予定)【場所:沖縄セルラースタジアム那覇周辺】
※ウチナーンチュ大会当日の募金・寄付呼びかけスタッフも募集中です♪
興味のある方やウチナーンチュ大会で何かしたい人は、気軽に連絡を☆
スタッフ説明会:10/10(月)20:00~琉球大学国際交流会館2階(西原町千原1)


コラム「ケータンナ-!(方言で“おかえり”の意味)」宮崎全/ティーダキッズプロジェクト実行委員会

 8月1日から11日間、宮城・福島両県の児童生徒55人を沖縄に招き入れることができました。ご支援いただきました皆さまありがとうございました。
 伊江村東日本大震災被災者受入対策本部との官民協働で実現したこのプロジェクト、55名のキッズは42人が伊江島にホームステイし、13人は東村にファームステイしました。ホームステイをしたキッズは伊江島おじぃ・おばぁを本当の家族のように親しみ、ファームステイのキッズは牧場の自然や動物に囲まれて、大いに癒されたことでしょう。
 「チバリヨー!」と送り出したキッズですが、この秋休みに早くも1人のキッズが帰ってきます。自分の宝物であるバスケットボールとシューズは伊江島おじぃの家に持ち帰らず置いてあるとのこと。休みの度に一人で行き来すると決心したようです。本当にうれしい限りです。
 11日間の取り組みではありましたが、次につながる取り組みとして、今後も続けたい。初めての試みで反省点も多々ありましたがスタッフ一同、挫けず次に向けて進み始めています。今後もALL OKINAWAでご協力をお願いいたします。プロジェクトの詳細はHPをご覧ください。なお、募金箱はジュンク堂ほか県内の店舗に設置をお願いしております。
 http://tidakids.info/okinawa2011/




  

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2011年09月27日

風の便りバックナンバー29 (10/1発行)

第29号 10月1日発行

「ゆいまーるの杜」終え、新たな受け入れ支援へ 
課題は「連携」 プロミスキーパーズの半年
 3月11日。飛び込んできたニュースに日本、世界の誰もが衝撃を受けた。県内で路上生活者や生活困窮者の支援活動をしてきたNPO法人プロミスキーパーズの奈良蓮さんもその1人だ。「自然豊かな沖縄だからこそ、たくさん傷つき困っている人の心のケアができるんじゃないか」。プロミスキーパーズでは震災後、中長期避難受け入れ施設「ゆいまーるの杜」で沖縄への移住を考える被災者の受け入れを行なってきた。交流の中で気づいたことや課題、また今後の支援について伺った。

◆交流深め温度差埋める「地震はどこでも起こりうる」
「自分がこれまで経験したことがない大震災。最初は被災された方の心情がわからなくて…」。奈良さんは、支援活動を通して変化した気持ちや気づきを口にした。「助けようという気持ちから、地震はどこでも起こり得るからお互い様なんだという気持ちへ。声かけも『大丈夫ですか?』から『今回は沖縄で休んでくださいね』という言葉に変わった」。半年間の支援活動の中で被災避難者と交流を
深め、次第に被災地との温度差を埋めていった。

◆県内でより強い支援ネットワークを
 震災から半年。支援者、避難者双方がクリアしていかなければならない課題は多い。「今後の移住支援にあたって、仕事の場をどう作るか?沖縄での生活で足となるものは?避難してきたのは母子世帯が多いため、保育所も情報も必要だ。また、沖縄の文化を知らない被災避難者の方にどうやって沖縄の文化に気づき、慣れてもらうか…」。奈良さんの口から、次々に課題が出てくる。今後そうしたニーズを拾い上げ対応していくため、県内でより強い震災支援のネットワークを作っていく必要性があるとも指摘した。

◆新たな受け入れ施設と物資支援センターを運営
 プロミスキーパーズでは、9月いっぱいで運営を終えた中長期避難受け入れ施設「ゆいまーるの杜」に代わり、那覇市若狭に新たな避難者受け入れ施設を開設する予定だ。ゆいまーるの杜と同様、宿泊や食事の提供、支援物資の運搬や引っ越しの手伝い、避難者同士の交流会の開催などを行なう。また、那覇市曙の事務所に9月中旬に開設した「物資支援センター」(写真)の運営は継続する。県民から支援物資を募集し、また被災避難者や困っている人の事情に応じ、欲しい物資を無償で提供する。今後の支援については「もともと行なってきたホームレス支援と並行しながらの支援をだったため、どうしても限界があった。今後は被災者支援のための事務局を設置し、現地NPOや団体とも連携して、受け入れにもっと力を入れていきたい」。

NPO法人プロミスキーパーズとは?
…県内の路上生活者や生活困窮者を支援するため2004年に設立された。3月11日の震災後は、放射能不安から被災地に戻れないなど、移住のニーズが比較的高い母子を中心に支援。県内2企業とボランティア団体「つなぐ光」と連携し、中長期避難受け入れ施設「ゆいまーるの杜」を運営した。被災避難者約30世帯を受け入れ、住居や食事の提供、心のケアを目的としたイベントなど支援活動を行なってきた。「ゆいまーるの杜」に避難した世帯のうち、12世帯は県内に移住。残りは被災地に戻ったり、他県へ移動している。


震災205日 被災地から⑯
福島・いわき 沖縄からエイサーボランティア
 大学のエイサー部の活動で、いわき市内の仮設住宅を回りながら演舞と寄り添い活動を行っている。地元ボランティアによるレクリエーションと琉球舞踊、私たちのエイサーで構成している。
 福島県に到着し車で移動している時、家は普通にあるし「どこが被災地なんだろう」と思った。いろいろ回ってみて、「こんなところがやられている」とわかるようになった。
 最初に訪問したところは、みなさんとてもフレンドリーで、元気でいらっしゃった。仮設住宅はまだ建ったばかりで、これからまだまだ入居があるという。持っていったかりゆしウエア30着はすぐに全部なくなってしまった。もう秋だし、もらってくれるかな~と心配したのがウソみたいだ。
 話を聞くと、津波で流されたうえ、家が残っていても盗難があっていろんなものが持ち去られたと聞いた。泥だらけになって残っていた衣類までも盗られたという。だから、服ならなんでもあ
りがたいそうだ。それに仮設住宅は暑さと寒さが極端に激しいので、半袖も必要だそうだ。
 それで「沖縄に帰ったら送りますね」と話をしながら回っている。仮設住宅の自治組織がまだないので、物資は社会福祉協議会を通してということになるというが、社協ではうまく配れないと聞いた。部員がお酒をもらうなどして仲良くなった人の住所を聞いたので、その方を通じて送れないか聞くことにした。仮設住宅にある集会所の住所も伺った。社協を通じ、仮設住宅をサポートしているNPOにも連絡してもらうことにした。
 津波で家を失った人は、「仕方がない」と前向きに生きておられる。原発避難区域に指定されている楢葉町から仮設住宅に避難された方も多い。この方々は、家は無事なのであきらめきれない感じだ。「東電のせいでこうなった」といい、東電に対する怒りを強く感じる。ボランティアの人たちも、どうフォローしていいかわからないようだった。原発体験の話を聞くと、びっくりすることばかり。とてもリアルだった。今日から寒くなってきたが、服がない。何も持っていないけど家には帰れない、と話された。
 今日午前中に伺った仮設住宅は、みなさんおとなしい感じだった。お嫁さんが流されたという人に会った。最初はウルウルだったけど、話しているうちにしっかり話して伝えようという感じになられた。お葬式をされた時のことまで話してくださった。
 こちらはもう寒い。内地の秋という感じ。今夜は、よりそい・情報支援ボランティアがいわき市からの避難者さんに聞いた沖縄料理屋さん「宮古島」を訪問し、ごはんを食べる予定だ。

いわき市:福島県内最大で東北地方第2の都市。人口33.5万人。全域で大地震・津波の被害が発生、死者・行方不明347人。原発から30~40km圏内だが、行政は安全宣言。


遠くにいても故郷を応援 沖縄萩の会
被災地ニーズを調べながら 支援を継続
 「遠くに住んでいても故郷を応援したい」。宮城県出身者でつくる在沖縄宮城県人会『沖縄萩の会』は震災から約3カ月、県内に避難してくる宮城県人はもとより被災者に対し積極的にサポートを行った。宮城への義援金や物資の送付、沖縄県内への被災避難者支援などに奔走した戸袋勝行会長に聞いた。

 萩の会としての災害対策本部を立ち上げ、岩手や福島などの県人会と連携しながら情報収集や募金活動を行った。沖縄県が被災者の受け入れを表明し、航空券と滞在を保証する支援を始めると、沖縄に避難する人が相次いだ。正直なところ「そんなに避難してくるとは思っていなかった」。やっとの思いで来沖した被災者に対し、県の対応はずさんなものだったという。「家の鍵を渡されただけ。どう生活したらいいのか」。土地勘もなく、生活に必要な家財道具を集めるだけの資金も無い被災避難者から悲痛な相談が相次いだ。沖縄での生活に関する相談の窓口はもちろん、空港からの送迎サービスや生活物資を集めるなど開始した。献身的な支援により、萩の会の把握では現在70人以上の宮城県出身者が沖縄で新たな生活をスタートさせている。生活に馴染んできた人たちに対して地域のまつりや行事への参加を促し、地域に溶け込めるよう誘導も行う。糸満ハーレーには被災者とともに県人会として3チームが参加し、健闘した。

 「沖縄のものを食べると元気がでる」嬉しい声  
 戸袋さんは仙台市出身。仕事の関係でたびたび帰郷しては、避難所や仮設住宅を訪れ住民と話したり沖縄から送られた物資の反応を調べたりしている。沖縄に一時避難していた人もいるという。とにかく足を運び、声をかけ続けている。被災地の今を知り、必要なものがあれば沖縄から送れるよう、ニーズを絶えず聞いて歩いている。
 「見回り隊」の育成にも力を注いでいる。仮設住宅を警備するだけでなく、話を聞きながらサポートする取り組みだ。また、被災地で沖縄県から送られた物資を使った取り組みも。ビーチパーティーなどで使うテントやパラソルを使った「パラソル隊」の支援だ。県外の団体と協力し、仮設住宅などにパラソルを立ててお茶などを出す。気軽に話せる場を作った。黒糖やもろみ酢などを振る舞うと、「沖縄のものを食べると元気がでるね」と、声をかけられた。「被災地へ」と企業や団体から提供された黒糖など、被災地でも大人気。「また送ってほしい」との要望もあるそうだ。

故郷を感じる場所で少しでも安心を
 震災から半年が経過し、沖縄県の支援も中長期的な支援に切り替わった。現在は会を通じて被災地へのボランティア派遣や、避難してきた方の支援が中心となっている。善意で集められた家電、日用品などの生活物資は、他の支援団体と協力して倉庫に保管し必要な人へ引き続き提供を続けている。
 半年を振り返り、「もう半年。時間としては早いが、現地のことを考えるとまだ2カ月、3カ月の様に思える」。今後は、沖縄で生活を始めた人がどのような状況なのか、これからどうしたいのかなど聞いていきたいという。年末に向け、避難してきた人も含め、会員みんなで一度集まる計画をしている。
 対策本部は、今後2年ほどは支援や生活サポート、生活相談の窓口を継続する。故郷を離れざるを
得なかった人たちが、故郷を感じる場所で少しでも安心して生活ができるようにと考える。同会の会員数は80人余り。それぞれが愛する家族や故郷を思い沖縄で、自分たちにできる支援を行った半年だ
った。今後も沖縄から奮闘を続けていく。

Information
第41回 那覇大綱挽まつり
那覇3大まつりのひとつ
 各地で五穀豊穣を占ったり、海上安全などを祈願して行われてきた沖縄の伝統行事。那覇の綱挽は1935年を最後に途絶えていたが、1971年の10・10空襲の日に、那覇市制50周年記念として36年ぶりに復活した。現在は体育の日前日(日曜日)に開催される。綱挽で使用される綱は全長200m以上で、「米藁(わら)で製作された世界一の綱」としてギネスブックにも認定され、年々長さを更新し続けている。国道58号線の久茂地交差点に置かれた巨大な綱が、東西に分かれた群集の手で挽かれる光景は圧巻。終了後、手綱は切り取られ参加者に配られ、縁起物や厄除けとして持ち帰られる。
 他に国際通りでは爆竹が鳴るなかで心地よい鉦(かね)や銅鑼(どら)の音と「サーサー」の掛声が琉球の風情を感じさせる「旗頭行列」(那覇大綱挽に集結)、「市民演芸・民俗伝統芸能パレード」などが行われる。奥武山運動公園では、音楽ライブや出店で賑わう「那覇大綱挽まつりRBC市民フェスティバ
ル」が3日間開催される。伝統文化が学べる那覇の大きなお祭りに、ぜひ足を運ぼう!
●開催 2011年10月8日(土)~10日(月)    
大綱挽10月9日(日)15時頃から~(前後に様々な催しあり)
●見学 無料
●場所 那覇市内各地 (パレード、旗頭行列/国際通り、那覇大綱挽/久茂地交差点、RBC市民フェスティバル/奥武山公園)
●問い合わせ
098-862-3276(那覇市観光課) / 098-862-1442(那覇市観光協会) / 098-866-4858(那覇大綱挽保存会)


コラム「レスキュー支援は継続、次は『沖縄で生活する』ステップの支援を」中川角司/つなぐ光 事務局長
 「つなぐ光」は避難希望者が沖縄に避難できるように支援する団体です。これまで32家族88名が滞在され、そのうち12家族が沖縄に移住されました。今後も避難は止まりません。つなぐ光は、レスキュー支援を継続し、浦添事務所を生かしたコミュニティ支援をより進めます。そして、移住後の生活を営むために重要なことは、恒常的に失業率の高い県民と、避難者とが、一つのパイを奪い合うことがないよう、最初からパイを分ける施策です。なんとか避難してきた家族は、次の「沖縄で生活する」というステップに入っています。そこに見合う支援を考え、先回りして盛り込んでいくことが受け皿である我々の使命です。皆様もご支援をありがとうございます。





  

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2011年09月26日

風の便りバックナンバー28 (9/24発行)

第28号 9月24日発行

5年に一度 世界の県系人が大集合。移民の歴史も楽しんで
第5回世界のウチナーンチュ大会 10月12日~16日 県内各地でイベント
 被災者、避難者の皆さん、沖縄ではいかがお過ごしですか。沖縄県に移り住み、長い人で半年が過ぎた今、この「沖縄」をどのようにお感じでしょうか。
 沖縄には良くも悪くも“沖縄ルール”と呼ばれる独自の習慣や共通認識があります。なかでも県民の同郷意識は強く、時に閉鎖的だと批判されることもあります。そういった指摘を否定することはできませんが、沖縄で暮らしていく皆さんには、その背景にある歴史を少しずつでも知っていただけたらと思います。
 10月12日から16日にかけ、県を挙げた一大イベント「世界のウチナーンチュ大会」が開かれます。世界から県系人(沖縄では、沖縄にルーツを持つ人をこう呼びます)が集まり、国際色溢れる沖縄を楽しみます。これほどまでにウチナーンチュが世界に広がった移民政策とそれにまつわる歴史について、まとめてみました。

世界に散らばるウチナーンチュのための祭典
 10月12日から4日間、沖縄県内では「世界のウチナーンチュ大会」というイベントが催されます。かつて経済に困窮した沖縄県では、出稼ぎ目的の移民政策が進められました。そのときに移民
として送りだされた県系人やその子孫が5年に1度、故郷である沖縄に戻り、郷土との繋がりを深める場が「世界のウチナーンチュ大会」です。

県内各地で世界と沖縄がチャンプルー
 沖縄セルラースタジアム那覇(那覇市)や沖縄コンベンションセンター(宜野湾市)など県内各地を会場に、沖縄と世界の伝統芸能や音楽、文化に触れるステージ、スポーツやビジネス交流などの目的としたイベントが開かれます。

世界のウチナーンチュ人口は約40万人、大会参加は5000人が目標
 南米、北米をはじめ、世界各地に移り住む県系人は約40万人。第1回(1990年)の2400人から参加者は増え続け、第5回を数える今年は、沖縄県人会がある世界24カ国1地域から過去最大の約5000人の参加を目標にしています。

故郷の未来を担う
世界中のウチナーンチュのネットワーク作り
 最初の移民から実に112年。海外に渡った移民の次の担い手は、2世から4世に移りつつあります。これからの沖縄を担う若い世代が世界でつながり、持続的で発展的な交流を目指すウチナーンチュ大会を考えたとき、海外の移民社会ではいまだに故郷沖縄を知らない次世代の育成、県内では県民のウチナーネットワークの構築に対する理解と関心を深めることが課題です。大会は、さまざまな取り組みを通し、県系人の交流を促進する場として重要な役割を期待されています。

考・沖縄 
~県系移民たちの功績と支援~

 世界に移民が散らばる沖縄県は、日本有数の移民県といえる。沖縄からの海外移民は、1899(明治32)に金武町出身の當山久三らによって送りだされたハワイ移民に始まり、南北アメリカ大陸、東南アジア、南洋群島、台湾、満洲へと渡った。
 戦前、経済的に困窮していた沖縄県は、外貨を獲得する目的で県民に移民を勧めた。県の狙い通り、海外に移った彼らは移民先から沖縄の家族に送金を続け、県民の生活を支え県経済の救済に貢献した。1929(昭和4)年、海外移民からの送金額は198万円に上り、当時の沖縄県の歳入総額300万円の実に66%に相当した。
 だが、移民した人の多くが成功を収めたわけではない。農園や炭鉱で過酷な労働を強いられ、風土病や言葉の壁、習慣の違いから生じる現地住民とのトラブルに悩まされながらも、切り詰めた生活の中でなんとか故郷の家族に送金するお金をひねり出していた。
 悲惨な沖縄戦後も、沖縄の食文化の要である在来の黒豚(アグー)が大量に焼死したことを聞いて心を痛めたハワイの県系人が、550頭の白豚を送って故郷の食文化を支えた。壊滅的な被害を受けた故郷沖縄県を、遠く離れた地に暮らす移民たちは文字通り物心両面で支え続けた。
過酷な状況下でも「ユイマール」 助け合い支え合った県人たち

schedule
*詳細は、第5回 世界のウチナーンチュ大会HPで
10/12(水)
前夜祭パレード@国際通り

10/13(木)
開会式@沖縄セルラースタジアム那覇
ワールドバザール [~10/16(日)まで]@沖縄セルラースタジアム那覇周辺広場
世界のウチナーンチュ「世界・平和・未来展」[~10/16(日)]@沖縄セルラースタジアム那覇2階スタンド下
移民資料展[~10/16(日)]@県立博物館・美術館
琉舞・空手奉納演舞(武)@首里城公園(御庭)
舞への誘い [~10/14(金)]@首里城公園(下之御庭他)

10/14(金) チャンプルー交流祭 [~10/15(土)]@沖縄セルラースタジアム那覇
国際親善ゲートボール大会@奥武山運動公園のびのび芝生広場
空手道・古武道交流祭 [~10/15(土)]」@県立武道館会場
NIPPONIA~ 世界に響むニッポンのうた、ウチナーのうた@沖縄コンベンションセンター劇場
ワールドビジネスフェア[~10/15(土)]@沖縄コンベンションセンター会議棟A
ワールドウチナーシンポジウム[~10/15(土)]@沖縄コンベンションセンター会議棟B

10/15(土)
国際親善ファミリーフットサル大会@沖縄セルラーパーク那覇
翔べ!尚巴志@沖縄コンベンションセンター展示棟
琉球の風 琉球クリエイティブと琉球舞踊@沖縄コンベンションセンター劇場
我らが住むは五大州@国立劇場おきなわ大劇場

10/16(日)
閉会式・グランドフィナーレ@沖縄セルラースタジアム那覇


震災198日 被災地から⑮
宮城・亘理 ボランティア
 震災による津波は、漁師の命である漁網を押し流しながら、いろんなものに絡ませてかなり傷つけた。たくさんの穴が開いた漁網は、漁師さんたちがひとつひとつ手作業で修復しなければならない。私は、その穴を見つけるボランティアを行っている。もちろん周囲は津波で被災しており、家はところどころに残っている感じ。運動公園の駐車校に網を広げて作業をしている。近くに温泉があるが、津波で被災し営業していない。
 漁網修復作業は、朝6時半ごろから始まる。昼近くになると暑いので、11時半ごろにはほとんどの人が作業を終える。午後は、作業する人はあまり見かけない。仕事の復興へ向けた別の作業とか、生活再建に向けた家の用事とかがあるのだろうか。
 誰にでもできるけど、かなり時間と手間がかかる作業だ。もっとボランティアがいたら進むだろうなあ、と思った。亘理町にあった災害ボランティアセンターはすでに業務を終了し、9月から亘理ささえあいセンター「ほっと」が開設された。ボランティア希望者は事前登録が必要で、ニーズが合った場合に希望者に連絡が行き、当日センターに行って現地活動を行うハローワーク形式のもの。だが、漁師さんたちの状況が伝わらないのか、センターがニーズの発掘を行わないのか、それとも何か事情があるのか、
センターからボランティアは来ていない。
 地域としても、助け合い支援やボランティアの気運をあまり感じない気がした。ここは、人のつながりでしか助けが来ないようだ。YWCAや他県の牧師さんのつながりで、キリスト教系団体のNGOが継続的にボランティアを送っている。
 漁師さんは、家が無事だった人もいれば、家を失って仮設住宅に住んでいるもおられる。みなさんとても元気だった。明るかった。ただ、黙々と修復作業をされていた。とにかくもっと多くのボランティアが来たら、もっともっと復興が進むのにと思った。震災からちょうど半年たったが「本当に半年たっているのかな」という感じだ。それほど、復興が進んでいない印象を受けた。
 ささえあいセンターとは別に、漁師さんたちを継続的に支援してきたNGOが拠点を仙台から亘理町に移すという話も聞いた。そうなったらもっとたくさんの笑顔が集まり、作業も生活再建も進むだろう。1週間足らずこちらでお手伝いして、本当はずっとここでボランティアをしていたのだけど、どうしてもそういうわけにはいかないので、冬にまた出直すことにした。

亘理町:仙台中心地から南へ約25キロ、人口3万5千人の町。宮城県では温暖な気候を生かし、イチゴ栽培が盛ん。震災で津波の大きな被害を受け、死者297、行方不明5。


「雇用の限界」「復興にかかる時間」長期支援に壁
新たな生活を手助けしたい それぞれの半年
 「被災した人たちの手助けをしたい」。在沖縄宮城県人会「沖縄萩の会」は、来沖する避難者を宮城出身者に限らず精力的にサポートしてきた。他方、「今起きていることに向き合うため」夏休みを利用して沖縄から被災地にボランティアに向かう大学生がいた。「それぞれが出来ることを」。県内で、被災地で、県民による地道な支援が続いている。生活再建に向けた長期的な支援が求められる中で、様々な課題が見えてきた。壁に直面しながら共に歩み、支援の取り組みを続ける人たちの声を拾った。

被災者支援~新たな段階に 
千葉信一/沖縄萩の会 東日本大震災対策本部 事務局
 発災から半年が経過し、被災者支援は新たな段階を迎えようとしています。被災者の自立支援、すなわち就職支援です。沖縄は全国で最も失業率が高く、避難者の多くが小さいお子さんを抱えた母子避難であることを考慮すれば、県内における就職には多くの壁があります。臨時職員として被災者の雇用をしてくださっている自治体もありますが、期限が来ればまた職を探さなければなりません。すでに沖縄における求職を断念し、本土へ戻って行った家族もあります。
 県人会のネットワークから就職先を紹介してはいますが、すべての避難者を対象とすることは不可能です。ここから先は行政なり政治なりの力により、新たな雇用機会を創(つく)っていただきたいと思います。

漁師さんにとって、私の活動は復興なのか? 
三枝菜美子/沖縄大学こども文化学科4年
 沖縄からも中秋の月がきれいに見える今日、東北関東大地震から半年が経った。半年といってもそれは1日1日の重なりであり、そこには一人ひとりの人が生きている。
 私は、9月1日から6日まで宮城県を訪れた。今起きていることを見て、心をできるだけ開いて何かを感じ、帰って来たかった。初日、仙台市内の倉庫での支援物資配布を行なった。その日届いた段ボールには、新鮮なナスが丁寧に敷き詰められていた。まだ水滴の付くナスを見て「真心のこもった並べ方やね」。近くにいた人がそうつぶやいた。現地で生活する人の心に届くものは、物資を超えたところにあった。
 2日目、東松島市野蒜地区で民家の修復作業を行なった。今まで一家の暮らしがあった場所、これからまた暮らしが始まる場所…。神棚に入り込んだ土や枝木を取り除いた。こなすだけの作業にならないよう出来るだけ手で泥を拭いたいと思った。
 3日目、仮設住宅へチラシ配布。休日を挟み、5日目は亘理町荒浜の漁港で網の修復作業を行なった。津波で破れた網の穴を見つけていく。大きな網を目の前に、私の手は2本だけ。この手を動かすことでしか進まない。「ここで働く漁師さんにとって私がやることは復興なの?」。そんなことを思った。「地味な作業だけど、誰かが必ずやらなきゃならない作業だから」。共に作業する人が言った言葉に「復興には10年かかる」の意味がやっと分かった。
 まだまだだけれど、こうやって東北の毎日がある。帰路、高速道路から仮設住宅が見えた。そこで生活する人々がいることを頭の隅に入れ、いつも気にしながら生きていきたい。そうすれば、小さくともずっと気持ちを通わせ続けられると思う。


Information 沖縄タイムス JAZZ SELECTION に被災者を招待
 9月25日と10月22日、「沖縄タイムス JAZZ SELECTION」(沖縄タイムス社主催)として以下の公演が行なわれます。
 沖縄タイムス社は、県内に避難している東日本大震災被災者の方々を招待します。各公演とも、ニライカナイカードを提示すると無料で入場できます。秋の沖縄で、心地よいジャズスイングをお楽しみください。
◆パートⅠ「北村英治プレゼンツ・エイジキューブコンサート」 日本ジャズ界を代表するクラリネット奏者、北村英治・花岡詠二・谷口英治の3人の「エイジ」による至高の公演。
9月25日(日)沖縄市民会館大ホール 午後3時開演(午後2時30分開場)

◆パートⅡ「2011ジュニア・ビッグバンド・ジャズ・イン浦添」 子ども達で構成されるジャズのビッグバンド公演で、「Dai kimoto & Swing Kids(スイス)」「リトルチェリーズ(鹿児島県)」を招待、地元沖縄から「浦添市ジュニア吹奏楽団」「浦添少年少女合唱団」が共演し、子どもの演奏とは思えない卓越した驚きと感動の演奏を披露する。
10月22日(土)浦添市てだこホール・大ホール 午後4時開演(午後3時30分開場)

【お問合せ】
沖縄タイムス社文化事業局事業部098-860-3588(担当:渡久川)


コラム「沖縄『から』、沖縄『に』出来ることを」相馬直子/情報支援ボランティア沖縄
 9月19日、人でごった返す新宿。駅ビルやデパートは、秋の新作を目当てに多くの買い物客で賑わっていた。以前と変わらない休日。しかし、台風15号で帰宅困難者が出た映像を見て家族が言った一言は、「3月11日と一緒だ」。口には出さなくても、人々の中で「首都圏の3・11」は全く未知の、不安な夜として記憶が残っている。私の家族も震災の夜、帰宅困難者となった。停電の夜道を人が列をなし、渋滞で動かない車のテールランプの赤い光をともしびに家路を急いだそうだ。「すべてがマヒし、都市のもろさを痛感した」という。震災の直接的な影響は無かった沖縄も、台風では大きな被害を受けた。豪雪に始まり、噴火、震災、豪雨、台風・・・天災続きの2011年。改めて沖縄「から」出来ることと、沖縄「に」出来ることを考える時期なのかもしれない。台風の季節も本番を迎える。これ以上の被害と悲しみが無いよう、沖縄から祈りたい。





  

Posted by We are OKINAWAN-KOBE! at 14:46Comments(0)TrackBack(0)風の便り バックナンバー