てぃーだブログ › 「ボララボ」ひと・まち・風景によりそう★災害地に学ぶ @なは市民活動支援センター › 04-06年「丸ごと!観光コース開発とガイド養成講座」ふりかえり

2009年10月05日

04-06年「丸ごと!観光コース開発とガイド養成講座」ふりかえり

地域研にある資料をもとに、沖縄大学が主体となった過去の地域づくり事業を振り返っている。
2004〜06年の3年間実施された「『丸ごと!なんぶ』観光コース開発とガイド養成講座」の事業概要と学内評価をまとめた。

沖縄大学と南部広域市町村事務組合の共同事業による「南部広域市町村圏事務組合ふるさと市町村推進事業」として、各年度の6月ごろ〜2月の日程で実施された。
南部広域市町村事務組合側の業務は
・事務、広報
・観光関係業界への講座修了受講生の推薦
など。
沖縄大学側の業務は
・講師選任、日程調整、カリキュラム・教材作成、受講申込者選定、研究指導
・車両等手配、傷害保険、修了認定
など。

事業の目的は、初年度は「国際化、個性化の進展に伴い、観光の対象は多様化し、人々の暮らしや産業など地域的個性を自ら体験し学習する体験滞在型観光が求められ」ていることから、「自律的な地域づくりと就業機会を創造し、地域振興の基礎となる地域研究推進と人材開発をめざし、南部広域圏の参加型・実践型の新しい観光コースの開発及びガイド養成」を実施することとなっている。

当時はフリープラン型旅行や個人旅行、リピーターの増加に加え、観光の関心は自然環境、歴史・文化への知的充足がより求められている状況で、南部広域圏の参加型・実践型の新しい観光に対応するコースの開発とガイドの養成を目指した。

最終年の2006年には、過去2年間の内容が教養講座的要素が強かったことと、修学旅行生の来沖が急増したことや足元にある文化の価値に対する県民の意識が希薄であることへの危機感が募っていた。
「沖縄における南部の地理的・歴史的・民俗的・社会的位置付けを考え、受講生自らが“なんぶ”を様々な角度・意味から再発見してもらうことを目指す」ため、ゼミ学習(班ごとに指導教員の掲げるテーマによる観光資源調査・観光資源カード作成など)を中心とするカリキュラムをさらに充実させ、受講生オリジナルの観光コース開発、南部の新しい魅力的な観光を創造するガイド養成と地域づくり(まちづくり)活動のリーダー養成を目指した。

カリキュラムは
2004年 講義11回(24時間)、ガイド実習4回(32時間=8時間×4日)、自主研究「私が開発した新しい南部観光コース」2回(4時間)
2005年 講義13回(26時間)、ガイド実習4回(32時間)
2006年 講義7回、ガイド実習1回、ゼミ学習5回、中間発表会・発表会各1回
この年のゼミ学習は、
「なんぶの風景と暮らし」
「歴史の道−それは港川人から始まった」
「村落、御嶽、井泉、戦後の生活」
「沖縄の生活誌と年中行事」
「なんぶの樹木、草花、伝統的野菜を活用したまちづくり」
という5コースに分かれ、それぞれデータベースになるカード作成と報告書作成、プレゼンテーションという実践的な「足元の観光資源開発」だった。

定員は、04年と05年は100人だが06年はゼミ形式にして少数精鋭でレベルアップをはかった分、定員も50人に絞っている。受講料は04年が1万円、05・06年が2万円。
いずれの年も最も多い年代は50歳代で、受講者の平均年齢は各年とも40代後半だった。


3年間の事業に対する地域研究所の評価は、年配者が多い受講者を一律に教育することの困難や、ガイドを養成しても企業や地域との連携がないため目標に掲げたような就業機会の創造には至らなかったことなど、地域でインタープリターとなる人材を育成することの難しさが挙げられている。
「それぞれがひとつの点としての活動に留まっている。南部広域市町村圏事務組合と沖縄大学の共同事業であるからには、それらの点と点をどう結び、総体としての形をどう作っていくかが、当然ながらその目的となるであろう。何より各地域の現場の方々との(あるいは現場同士の)南部広域全体のネットワークづくりが肝要と思われる」。(2006年12月22日「地域づくり関連事業案」沖大地域研究所)

また、修了認定してもこの程度の研修ではガイドとしての力量は未知数で、「書くことが苦手で一枚書くのがやっとという受講生がいるかと思えば、他方で一人で100枚以上のカードを書き、これらをWEB上でぜひ公開したいという受講生もいるという状況で、受講生にバラつきが目立った」という評価もあった。
ゼミ活動を通じて作成された多数の観光資源カード(お宝カード)も、行政と大学による普通の連携だけでは実用的なデータベースにはならなかったようで、実際の観光現場で活用された痕跡はなく死蔵されている。

地域の文化や歴史はどうしても年配者に関心が高いため、メディアリテラシーの問題も大きかったと考えられる。メールや携帯電話を持たない受講生もおり、ゼミ行動に関する連絡で立ち往生してしまうことも多々あった。シニア層が多い講座でIT利用を前提とした教育は限界がある。パソコンや携帯電話が当たり前になった社会の難しさが浮き彫りになっている。


もちろん、成果もあった。
2004年度修了後、受講生のうち希望者で構成する「NPOなんぶガイドネット」が設立され、同ネットが監修する「丸ごとなんぶ観光マップ」が発行された。
2006年度は、「なんぶの民俗」を担当したゼミが修了後も活動を続け、3年越しで「歩いてみよう!おきなわ軽便鉄道マップ」という本を出版した。

修了後に個人として顕著な活動を行った人も多い。糸満海人の講座に発奮し、糸満に魚料理の専門店を開いた年配者もいた。講座をきっかけにコミュニティFMとタイアップ活動を始める女性もいた。まちづくりに関して地域の商工会で活躍し、内地から表彰される青年もいる。講座がそれぞれの地域が持つ価値に対する「気づき」になったことは確かだ。受講者には観光関係者、行政マン、マスコミの在職者も多く、それぞれ分野でのスキルアップにつながっている。


ちなみに・・・
この事業が始まった2004年ごろは、レンタカー観光の急増とともに従来の団体旅行やパックツアーからフリープラン型旅行や個人旅行、リピーターへの転換期とされ、県をあげてエコツーリズムや農業体験に代表される「個人体験型観光」の大合唱だった。本事業の背景にあったのは、こうしたありきたりなお土産付きの「物見遊山」的な観光から、その地域ならではのごちそうを楽しむ「発見・体験型観光」へ消費者志向の変化だった。

皮肉なことに、昨年来の不況や新型インフルエンザの影響で観光客数と観光収入が落ち込んだ原因は、本土からの「物見遊山ツアー」団体旅行のとりやめが相次いだことだった。県は、団体旅行数の回復のためツアーごとに公的資金をばらまく手に出た。団体旅行と安宿客は、県がいう「質の高い観光」に反するものとして目の敵にしていたはずだ。目先の数字ばかりを追う観光政策に一貫性がないことを露呈するかたちになった。沖縄ブームが踊り場にさしかかった今、観光客が沖縄の原風景に触れられるもてなしがますます重要なことはいうまでもない。




Posted by ボララボ at 23:55│Comments(0)
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