2011年10月13日

風の便り vol.30 (10/8発行)

「風の便り」は、以下の公的機関などに置いていただいています。
(発行部数が少ないため、設置できる場所が限られています)

那覇市役所
恩納村役場
うるま市役所
沖縄市役所
浦添市役所
豊見城市役所
糸満市役所
南城市役所

沖縄県社会福祉協議会
那覇市社会福祉協議会
うるま市社会福祉協議会
沖縄市社会福祉協議会
読谷村社会福祉協議会
宜野湾市社会福祉協議会
浦添市社会福祉協議会
八重瀬町社会福祉協議会

東日本大震災支援協力会議事務局
那覇市NPO活動支援センター
那覇市協働大使活動支援センター
FM那覇
ジュンク堂書店那覇店


第30号  10月8日発行

「来る」受け入れ支援から 「溶け込む」移住支援へ        
… ボランティア・NPO・行政と連携 「つなぐ光」の半年

 「震災直後は海外に逃げることも考えた。テレビで被災地の大変な状況をみて、何もしなければ後悔すると思った」。つなぐ光を1人で担う事務局長の中川角司さんは打ち明ける。震災後に自らの仕事を辞め、つなぐ光の活動に力を注いだ。半年間、県内へ移住を希望する被災者が「沖縄に来るため」の支援と、大人と比べ放射能の影響を受けやすい被災地児童の疎開を進めた。呼びかけに応じた個人ボランティアやプロミスキーパーズをはじめとする県内ボランティア団体や企業、行政と連携し、現在も活動を続けている。中川さん、コカさん夫妻に支援に奔走した半年を振り返っていただいた。

■受け入れ支援―あくまで受け身、個人の事情に配慮を■
 震災発生後、急いでマスコミを通じ受け入れ支援を発表した。問い合わせ先の携帯電話はひっきりなしに鳴り続けた。「でも避難したいと電話をかけてくる人で実際に避難できたのは、50人に1人くらい。現地に残る知人や親戚、故郷への思いなど、現地のしがらみはこちらが思っていた以上に大きかった」。放射能不安を周りに理解してもらえず孤独な状況にいる人、夫を説得できずに断念する人、現地の事情の難しさに衝撃を受けた。支援者として、あくまで受け身で個人の事情に配慮する大切さを学んだ。

■疎開プロジェクト―「イキイキ、のびのびする姿 良かった」■
 中川さんと共に支援活動を続けた妻のコカさん。夏休みに福島県から20名の児童の疎開を受け入れた時をこう振り返った。「空港で子ども達を一目見たとき、すごく元気な様子を見て安心した。もちろん苦しみの抱えていたと思うけど…」。大人が思っていた以上に子ども達はしたたかでたくましく、「沖縄を訪れることができたチャンス!」と楽しんでいるように感じた。「(疎開プロジェクトで)自由に体を動かせた、思いきり遊べたという満足そうな子ども達をみるのがうれしかった。どんどんイキイキして、のびのびする姿は良かった」。
 今後について中川さんは、「今年の成果も踏まえ、毎年20人から30人の児童を疎開させられるプロジェクトを用意したい」。

■課題は活動継続への体制づくり、県民にバトンを渡すための認知活動■
 中川さんは、今後も継続した活動を続けるためには運営体制に課題があると考えている。事務局が1人では、新しい支援に乗り出せない。寄付金額やブログへのアクセス数減少からも、世間の興味が薄れてきていることを実感している。「今後は認知活動をして、もっと活動を知ってもらわなければ。避難者がこれだけ来ていることを知れば、県民も『何か自分にできることを』と動き出すはず。そもそもつなぐ光は沖縄と被災地、県民と被災避難者をつなぐきっかけづくりを目的として生まれた。被災避難者支援に(県民を)どれだけつなぐことができるか、バトンを渡せるかが課題だ」。

■コミュニティ形成拠点の運営と被災者向け雇用枠の確保へ■
 つなぐ光では、沖縄に移住を決めた避難者のコミュニティ形成や地域に溶け込んでいくための支援として、交流拠点の運営と被災避難者向けの就労枠の確保などを行っていく予定だ。
 7月23日から、浦添市役所近くにコーヒーなどを飲みながらゆんたく(雑談)ができるコミュニティスペースを開設した。「小さな子ども向けのプレイスペースがあるゆったりとした空間で、誰かに会える、友達を作れる場として気軽に利用してもらいたい」。
 就労支援に関しては、「ただでさえ少ない県内の仕事の枠を県民と被災避難者が奪い合うのではなく、枠を設けて分け合っていく形を作りたい」。いがみ合うことのない支援方法を模索している。

つなぐ光とは?
…震災支援のため3月18日に設立されたボランティア団体(5月から一般社団法人)。「被災者と県民をつなぎ、支援するきっかけづくり」のため、県民を巻き込みながら活動中。原発から100キロ圏内に居住する妊婦や母子の被災避難者のため、県内ホームステイの調整や移住支援として旅費や初期滞在の費用などを寄付から負担し、支援。9月1日現在、32家族88名を受け入れた。また、高
放射能にさらされた被災地の子ども達の免疫力回復のため、疎開プロジェクトを実施。7月25日から約1カ月間、福島県の20人の子ども達を受け入れた。


震災212日 被災地から⑰
宮城・名取 ボランティアコーディネーター
 宮城県名取市と石巻市で、学生ボランティアによる支援活動のコーディネートを行っている。どちらも同じ仮設住宅で継続的に支援を続けている。学生は土日を利用して月に2回、バスで神戸から来てくれる。
 名取市では避難所が5月末~6月初旬にすべて閉鎖され、避難者は仮設住宅に移った。仮設住宅は8か所ある。すごいのは、自治会が100%立ち上がっていることだ。私たちは自治会長や役員さんと話を進めながら、ボランティア活動を行っている。仮設住宅は6つの部屋が一棟になっている。6つの部屋でリーダーを決めて、そのリーダーが集まって役員会を構成している。
 大きな被害が出た閖上(ゆりあげ)地区から西に5キロほど、東北本線の西側にある住宅地、箱塚地域にある仮設住宅で活動している。箱塚桜団地(仮設住宅団地)は震災後すぐ完成した。ここは地域単位で同じ仮設住宅に入居できたところだ。町内会のしくみがまるごと移った。同じ地区にある箱塚屋敷団地は、自治会ができるのが遅れた。夏になってから立ち上がった。桜団地と違い、いろいろな地区からの住民が入居したことが大きい。
 名取市は、他の地域に比べ行政が一律に支援しやすい環境にあると感じる。仮設住宅は、市役所を中心とした半径約4キロ以内の市街地や近辺に立てられている。市の担当部署である健康福祉部仮設住宅管理室がひんぱんに仮設住宅の集会所に足を運び、相談対応しているようだ。しかも、自治会はとてもフレンドリー。「神戸から来た学生さんが楽しんで帰ってくれているか、心配している」とまで言ってくださる。
 学生による支援活動は、外での活動がメーン。個別訪問による活動は行なっていない。手探りで活動を行っている。最初は、住民のみなさんと一緒に話をすることからスタートした。毎回行っているのは、何か作業や集まりがあればお茶を出すこと。支援は私たちが住民のみなさんに全部プレゼントするのではなく、一緒に行うことを大切にしている。こちらの名菓「ずんだ餅」の作り方を住民のみなさんに教えてもらいながら、一緒に作ったりしている。
 小さな踏み台や腰掛がほしい、という声が多いので、木工作業を活動に取り入れている。通りがかりの人に「ネジ1本打っていきませんか」と声をかけている。学生と一緒にベンチづくりなど行なって、一緒に作業した後にお茶を出す。ベンチはどこに置いたら使ってもらえるかを聞いてまわったうえで、製作した。12台作り、置いてあるところが簡易集会所になっている。

名取市:仙台市の南隣、仙台空港がある自治体。閖上地区を中心に市町村面積100平方kmのうち27平方kmが津波の浸水を受け、甚大な被害が出た。死者・行方不明985人。


「仮設」に響く太鼓 人を呼び心をつなぐ
沖縄大学エイサー部 いわき市で演舞と「よりそい」活動
 9月下旬、沖縄大学エイサー部「新風」のメンバー12人が福島県いわき市の仮設住宅4か所やグループホームを訪れ、演舞による慰問と「よりそい」活動を行なった。那覇市社会福祉協議会といわき市社会福祉協議会の連携で実現した。メンバーは事前に、震災後に福島県で支援に入った那覇市社協職員の話を聞いたり、沖縄大学地域研究所で阪神淡路大震災時の仮設住宅の様子や問題について事前学習を行なったうえで、いわき市に入った。現地では、被災した高齢者の勇気付けになったことが地元新聞に報じられた。今回の活動でマネージャー役としてがんばりながら、現地と沖縄とのパイプづくりに動いた沖縄大学こども文化学科2年、松田有加さんに話を聞いた。(聞き手:沖大地域研究所特別研究員/よりそい・情報支援ボランティア 稲垣暁)

―今の被災地を見て、どう感じた?
 車で福島に入って、最初のうちは普通に家が立っているし、どこが被災地なんだろう?という感じだった。被災地に入っても何もない更地が広がっていて、「ここは何もないのだろうか」と思っていた。よく見ると、家の跡が残っている。津波が来る前の写真を見せてもらい、驚いた。「こんなにお家があったの?」。地元の方の案内で、許可がなければ入れない地域を車で通った。野次馬が来るので、通行許可証がなければ通れないという。

―仮設住宅では、みなさんはどのような表情だった?
 高齢者のお話を聞いてまわった。仮設住宅はみなプレハブで、若い人の姿が見えなかった。ほとんどが高齢者。「仮設住宅で若い人はすぐに出たがる」ということだった。
 津波で家を流された人は、気持ちを切り替えて前向きだった。いわき市の北側にある原発の避難圏内から来られた人は、家が残っているのであきらめきれない感じだった。話しかけたら、どんどん話が出てくる。真剣に聞いていたら、真剣に話してくれる。メンバーには、泣きながら話を伺った者もいる。

―どのような課題を見つけた?
 社協の話では、ひきこもりの人が心配とのことだった。特に男性が心配で、イベントで音を出して引っ張り出せたらという。エイサーの太鼓の音は心に響くし、大きな音なのでどんどん人が集まってきたととても喜んでいただいたようだった。どんどん音を出して、中にいる人を引っ張り出してほしいと言われた。社協のブログにも「音が人を呼び、心をつなぐ」と書いていただいた。
 悲しかったのは、被災地に泥棒が多く入っていると聞いた時。タンスや仏壇に貯めていたお金を持っていかれたという。泥のついた服も盗まれたそう。がんばっている人たちを応援しに来て、とてもショックだった。津波で家が流された人も、原発地域に家が残ったままの人も、とにかく着る物がないといわれていた。

―沖大生が岩手に送っているかりゆしウエアを持っていってくれたね。現地で「沖縄から送りますよ」と声をかけ続けたとか。
 持っていった30着はとても喜ばれ、初日に完配した。沖縄に帰ってからどう送り、交流を続けるか考えながら動いた。仮設住宅は暑いので、秋や冬も部屋着での用途はありそうだ。大きなニー
ズはあるのに、まだ自治会がなく公的機関を通じて配ることは難しいのが現状。仮設住宅のキーパーソンみたいな人と出会ったので、その方と連絡を取り合って送る方法を考えている。住民の方と仲良くなってお酒をもらった部員がいて、お返しというかたちで交流を続けることも考えている。岩手で活動した沖大の学生メンバーと連携しながら、長く支援を続けられたらと思っている。

福島でも喜ばれた「かりゆし」 沖縄から長く交流続けたい



Information 東北の子どもたちを沖縄へ呼ぼう!
「ティーダキッズプロジェクト」賛同者募集中
 「ティーダキッズプロジェクト」は、被災した東北の子どもたちを沖縄に招待して楽しくゆったりと日常生活を過ごしてもらうことを目的とした企画です。今年の夏休みには55人の子ども達を招待しました。今後10年間継続して実施する予定です。
 世界のウチナーンチュ大会期間中に会場付近で募金・寄付の呼びかけを行います。ご賛同いただける方は、ご協力をお願いいたします。
【問い合わせ】tidakids.info@gmail.com (担当・徳森、080-1733-7919)

●世界のウチナーンチュ大会で募金活動!!
10月13日(水)開会式・16日(日)閉会式前後1時間ほど、および13日~16日のワールドバザール(予定)【場所:沖縄セルラースタジアム那覇周辺】
※ウチナーンチュ大会当日の募金・寄付呼びかけスタッフも募集中です♪
興味のある方やウチナーンチュ大会で何かしたい人は、気軽に連絡を☆
スタッフ説明会:10/10(月)20:00~琉球大学国際交流会館2階(西原町千原1)


コラム「ケータンナ-!(方言で“おかえり”の意味)」宮崎全/ティーダキッズプロジェクト実行委員会

 8月1日から11日間、宮城・福島両県の児童生徒55人を沖縄に招き入れることができました。ご支援いただきました皆さまありがとうございました。
 伊江村東日本大震災被災者受入対策本部との官民協働で実現したこのプロジェクト、55名のキッズは42人が伊江島にホームステイし、13人は東村にファームステイしました。ホームステイをしたキッズは伊江島おじぃ・おばぁを本当の家族のように親しみ、ファームステイのキッズは牧場の自然や動物に囲まれて、大いに癒されたことでしょう。
 「チバリヨー!」と送り出したキッズですが、この秋休みに早くも1人のキッズが帰ってきます。自分の宝物であるバスケットボールとシューズは伊江島おじぃの家に持ち帰らず置いてあるとのこと。休みの度に一人で行き来すると決心したようです。本当にうれしい限りです。
 11日間の取り組みではありましたが、次につながる取り組みとして、今後も続けたい。初めての試みで反省点も多々ありましたがスタッフ一同、挫けず次に向けて進み始めています。今後もALL OKINAWAでご協力をお願いいたします。プロジェクトの詳細はHPをご覧ください。なお、募金箱はジュンク堂ほか県内の店舗に設置をお願いしております。
 http://tidakids.info/okinawa2011/


風の便り vol.30 (10/8発行)

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